西部ガスHD研究(2)最大の仕事師 工藤青史(せいし)氏

 まずは経歴から。熊本市出身、1954年6月30日生まれ、71歳。熊本高校、慶應義塾大学法学部卒。78年西部瓦斯(株)入社、2006年エネルギー営業本部都市エネルギー営業部長、07年エネルギー営業本部副部長兼都市エネルギー営業部長、08年エネルギー統轄本部産業・都市エネルギー本部副部長兼都市エネルギー営業部長、同年エネルギー統轄本部産業・都市エネルギー本部長、09年6月から本社理事に就任して左記の2つの本部長を兼務。16年4月から20年3月まで西部ガスリビング(株)社長を務めた。趣味はテニス。定年65歳(6年前)退職。

 「西部ガスの工藤青史さん。あの人ほど西部ガスで仕事する人を見かけたことはない」=「最大の仕事師」と認定を受けた人である。さらに交際範囲が広い。在福岡熊本県人会の代表も長きにわたって務め、拡大化に励んできた。

西部ガスリビング拡大の功労者

 工藤氏のビジネスにおける功績を挙げれば枚挙に暇がない。そのなかでも最大の功績は、西部ガスリビングをグループ関連企業の最優良企業の1つに仕上げたことであろう。

 そのきっかけは、マンション管理事業に挑戦したことである。海の中道で380戸の大型マンションが売り出された際、供給業者に対し「朝駆け夜討ち」の凄まじい営業攻勢をかけた。筆者はその光景を目の当たりにしていた。本社を説得するための工作・説得に莫大なエネルギーを注ぎ、疲労困憊となった工藤氏の姿をたびたび目撃したものだ。

 結果、このマンション管理業務を西部ガスリビング(株)に引き取らせた。同社を瞬く間に年商100億円企業に育て上げたのだ。

65歳で引退、遊びの道へ転換

 ビジネスの世界では「仕事師」の異名をとり、100人力の働きを見せていた工藤氏だが、現役時代から「定年65歳でビジネスから引退をする。それ以降は徹底して遊びを極める人生を謳歌する」と公言していた。

 定年前には少なくとも10社(西部ガス以外)からのスカウト攻勢を浴びた。60歳前後から「専務として迎えたい」(当時、地元トップマンション業者)という打診があったことも耳にしていた。しかし、工藤氏は持ち前の有言実行を貫いた。「65歳でリタイアして遊びの道を究める」ことに迷いは無かった。

 ゴルフの腕前は達人の域にあるが、既存の趣味に安住することはない。「新規アタック」を信条に、新たな挑戦を始めた。まずトランペット教室に通い、それなりの演奏技術を習得した。今秋にはソプラノシンガーとコンサートを企画しているといわれる。さらに驚くべきは、日本一周ドライブである。全国各地の歴史ある名所を巡っており、いずれ『日本歴史探索物語』といった著書の出版も期待できるかもしれない。

直近5期の業績は?

 仕事師が去れば、業績が悪化する。西部ガスリビング(株)の業績を点検してみよう。

表

 仕事師が不在となった21年3月期は売上高100億円をキープして1億円の当期純利益を叩き出している。工藤氏の蓄積・貯金がまだプラスの影響を残していたのであろう。

 だが、彼の存在が薄れるにつれて売上は確実に低減していった。利益面でも減益傾向が鮮明となった。22年3月期の売上はついに100億円台を割ったのである。ピークから10億円の減収となれば、赤字決算になるのは必然だ。

 増収増益への打開策はどこにあるのか。問題は経営戦略ではない。工藤氏の50%程度で良い。まずは仕事師の出現がなければ、業績を改善させるのは容易ではない。

 ガス事業においては「寝ていてもお客がガスを消費してくれるから売上が転がってくる」という、安定したビジネスモデルに甘んじてきた側面がある。この体質を改善するのは容易ではない。やはり経営陣が「仕事師10人創出」の戦略に失敗したからこその必然的な結果である。読者の皆さんは、このシリーズに真剣に向き合っていただきたい。

【特別取材班】

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