大学教育が死んで、日本の知が崩壊する?(2)
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横浜国立大学 教育人間科学部 教授 室井 尚 氏
大学では経済界が求める人材を養成して欲しい
――前回の印象では、かなり強引に、安倍政権、文科省が「国立大学改革」、「ミッションの再定義」を進めた印象を持ちました。そもそも大学とはどのようなところなのでしょうか。また、どのようなところであるべきなのでしょうか。
室井 今よく言われているのは、「大学は、社会の役に立つ技術を教え、英語を使って、グローバル化時代の国際社会にすぐ飛び込んで戦えるような人材を送り出して欲しい。経済界が求めているような人材を大学は養成して欲しい」ということです。
すべての命令を判定する自由を持つような学部
――しかし一方で、先生も言われておりますが、大学は必ずしも「グローバル化時代に対応する人材の養成工場ではない」という意見もあります。
室井 それは忘れてはいけない重要な点だと思います。吉見俊哉氏は『大学とは何か』(岩波新書)のなかで、近代大学の思想的核心を示したのは哲学者のイマヌエル・カントであるとし、以下の解説をしています。
カントは1798年に書いた「諸学部の争い」の中で、未来の大学の見取り図を描きました。
それによると、大学とは、神学部、法学部、医学部という「上級学部」と哲学部という「下級学部」の弁証法的統一体であると言っています。3つの上級学部は、そこで教えられる内容を方向付ける上位の審級として、それぞれ「教会」、「国家」、「公衆医療」を持っており、それらに奉仕する目的で成立しています。それに対して、哲学部は、「みずからの教説に関して政府の命令から独立であり、命令を出す自由は持たないが、すべての命令を判定する自由を持つような学部」です。つまり、上級学部は他律的な知を、下級学部は自律的な知を持つと規定しています。哲学部は、理性の自由しか望まない謙虚さから、上位の学部にとっても有用なものとなり、それらを統御します。教養部で幅広い科目の授業が開かれていました
このカントが考えた国家や他の権威に奉仕する近代型の学部と、その基盤にあってあらゆる権威から離れて自由な理性にのみ従う哲学部(広く人文学全体と捉えられる)の区別は、旧制大学における「大学予科」、新制大学における「教養部」の理念として受け継がれてきました。戦前の旧制高校では、理系の工学部や医学部に進む学生たちもドイツ哲学などに親しんでいたのです。それはまた、カレッジにおけるリベラルアーツ教育と大学院における専門教育という役割分担を行うことによって、世界中に移植されていったアメリカの大学においても守られてきたものでした。
日本の新制大学においても、教養部が置かれ、幅広い科目の授業が開かれていました。
しかし、現在ではすっかり事情が変わってしまいました。文系も理系も、狭い自分の学んだ専門領域以外の知識を持たず、そもそも本を読まない人たちがどんどん社会の中枢に送りこまれています。キーワードは「大綱化」ということになります
――カントの唱えた大学の「2つの知」は素晴らしい考え方で、現在でも十分通用しますね。しかし、日本の場合はどういう理由で「教養教育」は弱体化してしまうのですか。
室井 そのキーワードは「大綱化」ということになると思います。大綱化以降、東京大学以外のほとんどの大学で教養部が解体され、カント的な理念自体が急速に希薄化していきました。教養科目の数や種類も大学の自由に任せるようにしてしまい、教養教育それ自体が内側から解体されていきました。
1987年の中曽根政権の時代に、政府は大学のあり方を見直すとして、大学審議会(2001年に中央教育審議会「大学分科会」に再編)を設けました。そして、91年に大学審議会の答申が出されてすぐ施行されたのが、「大学設置基準の大綱化」という政策です。「大綱化」とは、大学の設置基準を「簡略化」してゆるやかにすること、そして各大学が教育の質の向上を果たすための自己点検・自己評価システムを導入することを提言したものです。大綱化とは、簡単に言うと「自由化」ということです。これによって、ほとんどの大学では教養部が廃止されることになります。
国立大学の法人化の背景は新自由主義経済政策
こうした、規制緩和は90年代を通して推進され、また03年には小泉政権の規制緩和特区構想の目玉として、学校法人以外にも特定非営利活動法人や株式会社による設置も認められるようになり、誰でも大学をつくれるようになりました。
これらの背後には、中曽根政権に始まる「新自由主義」に基づく規制緩和や国有企業の民営化などの経済政策があります。大学にも市場経済における競争原理を導入していくことにしたわけです。小泉政権が、新自由主義的政策を踏襲して04年に行った国立大学の「独立法人化」は、同じ新自由主義的政策を推し進めた、80年代のイギリス・サッチャー政権で行われた大学の「エージェント化」がモデルとなっています。
(つづく)
【金木 亮憲】<プロフィール>
室井 尚(むろい・ひさし)
1955年3月24日山形市生まれ。横浜国立大学教育人間科学部教授。京都大学文学部卒業。同大大学院文学研究科博士課程修了。帝塚山学院大学専任講師などを経て、92年から横浜国立大学助教授、2004年から現職。01年には「横浜トリエンナーレ2001」で全長50mの巨大バッタバルーンを含む複合アートを制作、11年にはクシシュトフ・ヴォディチコ氏を招き、学生達と新作プロジェンクション・アートを制作するなど、ジャンルを超越した分野で活躍。専門は哲学、美学、芸術学、記号論など。著書として、『情報宇宙論』(岩波書店)、『哲学問題としてのテクノロジー』(講談社選書メチエ)、『タバコ狩り』(平凡社新書)など多数。関連記事
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