7月4日、民主主義の葬儀──米国独立250周年

(一社)アジア・インスティチュート
理事長 エマニュエル・パストリッチ

理想としての独立宣言

 米国は、独立宣言から250周年という節目を迎えようとしている。王も貴族も存在せず、行政権をもつ教会にも支配されない民主共和制を築こうとした最初期の試みから、四半千年が過ぎたことになる。この節目は、アメリカ史において極めて重要な意味をもつだけでなく、世界中から注目されている。

 しかし、声に出してそう言う人はほとんどいない。現在の米国にとって、この「誕生日」は民主主義の祝祭ではなく、むしろその葬儀のように見える。そこにあるのは、グロテスクな自己愛の文化、退廃した寡頭支配者たちによる鉄の支配、そして本来なら憲法、議会、裁判所の厳格な制約を受けるべき大統領職が、ローマ帝国の腐敗した皇帝たち──カリグラやネロを思わせる放縦な権力者の宮廷へと変質していく光景である。

 アメリカ独立宣言は、この250年間、世界各地の独立運動や改革運動に大きな影響を与えてきた。その前文には、次のような有名な一節がある。

我々は、次の真理を自明のものと考える。すなわち、すべての人は平等につくられ、創造主によって、一定の譲ることのできない権利を与えられている。そのなかには、生命、自由、幸福の追求が含まれる。これらの権利を確保するために、人々の間に政府が設けられ、その正当な権力は、統治される者の同意に由来する

 この言葉は、フランス革命、1848年のドイツ革命、ロシア革命、そして今日に至るまでの数多くの改革運動に影響を与えた。アジアにおいても、独立宣言の理念は無縁ではなかった。中国の改革思想家である康有為は亡命中にその影響を受けた。明治期の板垣退助らによる自由民権運動、1919年の朝鮮独立宣言、45年のベトナム独立宣言にも、その思想的影響を見ることができる。

理念と現実の深い断絶

 しかし、ここで感傷的になってはならない。独立宣言に掲げられた理想と、その後に築かれた米国という国家の現実との間には、常に大きな隔たりがあった。1776年の独立宣言に体現された理念、そしてそれを書いた人々の高邁な努力はたしかに存在した。だが、その理想がそのまま米国の歴史をかたちづくったわけではない。

 アメリカ独立革命は、世界文明への偉大な貢献だったのかもしれない。しかし現実には、その後に莫大な富を得た米国は、民主主義によってのみ強大化したわけではなかった。奴隷として連行されたアフリカ人の労働を搾取し、先住民を土地から追い払い、絶滅に追い込み、あるいは居留地へ押し込めることで土地と資源を奪った。さらに19世紀には、米国商人が英国帝国による違法なアヘン貿易の仲介役を担い、中国から富を吸い上げた。

 そうして得られた資金は、米国の鉄道や製造業へ投資された。米国を物質的に強大にしたのは、独立宣言や憲法の理想だけではない。「マニフェスト・デスティニー」の名のもとで犠牲にされた人々からの、巨大な富の移転でもあった。7月4日に祝われる自由、解放、独立の理念、そして独立宣言の力強い言葉は、ネイティブ・アメリカンや黒人にとっては長く空虚なものだった。

 元奴隷であり、奴隷制度廃止論者でもあったフレデリック・ダグラスは、1852年の演説「奴隷にとって7月4日とは何か」で、次のように述べている。

奴隷にとって、あなた方の祝祭は偽りにすぎない。あなた方が誇る自由は不敬な放縦であり、あなた方の国の偉大さは膨れ上がった虚栄にすぎない。あなた方の歓喜の声は空虚で心のこもらないものであり、暴君への非難は厚顔無恥な傲慢であり、自由と平等への叫びは空虚な嘲笑である。祈り、賛美歌、説教、感謝の言葉も、その宗教的な装いと厳粛さにもかかわらず、彼にとっては大言壮語、詐欺、欺瞞、不敬、偽善にすぎない

寡頭支配へ傾く米国、トランプの祝祭と個人崇拝

 そして現在、米国は南北戦争以前の状態へと戻りつつあるように見える。南北戦争以後、米国は多くの矛盾を抱えながらも、一定の前進を続けてきた。もちろん、その歩みは朝鮮戦争やベトナム戦争のような悲惨な失策をともなうものでもあった。それでも、公民権運動をはじめ、民主主義を拡張しようとする力はたしかに存在していた。

 しかし近年、銀行や多国籍企業の力は絶対的なものとなり、人々の存在はますます軽く扱われるようになった。連邦政府の劣化は速度を増し、その先に現れたのは、億万長者にしか責任を負わない大統領である。疑惑や醜聞を抱え、カジノや歓楽産業との関係を取り沙汰され、家族や友人のために前例のない規模で国家権力を私物化していると批判される政治家である。

 では、ドナルド・トランプ大統領は、米国建国250周年をどのように祝おうとしているのか。彼はホワイトハウスに戻った瞬間から、このけばけばしい7月4日のための準備を始めていた。ホワイトハウスの壁という壁に金箔の装飾を施し、かつて控えめさと抑制を象徴していた建物を、ラスベガスのカジノとチンギス・ハーンの宮殿を掛け合わせたような空間へ変えようとしている。

 さらに彼は、ヴェルサイユ宮殿にふさわしいような舞踏会場を増設し、そこで億万長者の支持者たちをもてなす計画を立てている。その地下には、彼の有力な支援者であるラリー・エリソンによって建設された情報拠点が置かれるという。

 6月14日、彼は自身の80歳の誕生日を祝う行事から、2週間にわたる祝賀ムードを開始した。あたかも大統領の誕生日が、国家の誕生日と同じ重みをもつかのようにである。彼は、もはや国家そのものとして振る舞っている。

 その象徴として、彼は「アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ」の会場に、ねじれた巨大な凱旋門のような構造物を建てた。そこでは、囲い込まれたリングのなかで、プロレスラーや格闘家たちがトランプを楽しませるために血みどろの戦いを繰り広げる。かつて歴代大統領が野蛮だと批判していたような見世物である。

「パンとサーカス」の国へ、250周年目の葬儀

 戦う者のなかには、過酷な試合で重傷を負う者もいた。だがトランプは、それを大いに楽しんでいるように見えた。大統領であり、同時に皇帝のように振る舞う彼は、アメリカ文化に取って代わる新たなグロテスクな野蛮主義を押し広げている。

 トランプは、7月4日の直前の週に、ワシントンのナショナル・モールで有名歌手たちによる一連の屋外コンサートを開く計画も立てていた。しかし、そのイベントが彼の忠実なMAGA支持者たちを動員し、個人崇拝の儀式へと変えられようとしていることが明らかになると、多くのアーティストは出演を取りやめた。

 それでもトランプはひるまなかった。代わりに彼は、史上最大規模の花火大会、軍用機による複数回のフライオーバー、自らの命令に従わざるを得ない軍楽隊の演奏、そしてリンカーン記念堂とジェファーソン記念堂の前で行う、自慢に満ちた演説を計画した。

 悲しいことに、1776年の建国者たちが理想としたギリシャ・ローマの政治哲学の最良の部分は、いまや後期ローマ帝国の退廃と過剰な贅沢の最悪の部分に取って代わられつつある。後期ローマ帝国において「パンとサーカス」と呼ばれた大衆への気晴らしは、トランプ時代の標準的な政治手法になっている。

 したがって、米国の独立250周年は、国家の祝祭というよりも、むしろ葬儀のように見える。しかもそこには、葬儀に本来あるべき敬意や静けさすらない。アメリカの約束は腐敗し、壊疽はこの国の血管全体を駆けめぐっている。


<PROFILE>
エマニュエル・パストリッチ

エマニュエル・パストリッチ博士1964年生まれ。アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル出身。イェール大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(比較文学比較文化専攻)、ハーバード大学博士。イリノイ大学、ジョージワシントン大学、韓国・慶熙大学などで勤務。韓国で2007年にアジア・インスティチュートを創立(現・理事長)。20年の米大統領選に無所属での立候補を宣言したほか、24年の選挙でも緑の党から立候補を試みた。23年に活動の拠点を東京に移し、アメリカ政治体制の変革や日米同盟の改革を訴えている。英語、日本語、韓国語、中国語での著書多数。『沈没してゆくアメリカ号を彼岸から見て』(論創社、25年)、『USAを盗んだ男—トランプ、そして腐敗を極める輩たち』(論創社、26年)。

関連記事