なぜ渡来仏は九州に集まったのか──海を越えた仏たちの旅路

 NPO法人 福岡城・鴻臚館市民の会が主催する「第17期 福岡歴史観光市民大学」の第5回講座が、2026年8月17日(月)に開かれた。テーマは「九州渡来仏──海を越えた旅路」。講師には九州国立博物館学芸部文化財課資料登録室主任研究員の大澤信(おおさわ・しん)氏を迎え、対馬・観音寺の仏像盗難事件を契機に企画された特別展「九州渡来仏」(会期:〜8月30日)の背景や、九州に伝わる200体以上の渡来仏が物語る東アジア交流の歴史について解説した。

対馬の海を背景にしたスライドの前で、渡来仏への思いを熱く語る大澤信氏
対馬の海を背景にしたスライドの前で、渡来仏への思いを熱く語る大澤信氏

「祈る心に国境はない」──3つのメッセージ

 大澤氏は冒頭、講演を通して伝えたい3つのメッセージを掲げた。①仏を祈る心に国境はない。②渡来仏は故郷でも日本でも愛され続けてきた。③九州の渡来仏は、故郷の仏像史の空白を埋める貴重な存在である──というものだ。

 「東南アジアのタイに行けば、日本人もタイの仏様に手を合わせる。同じようにタイの人も日本の仏様を拝む。祈る心には国境はないはずです」と大澤氏は語る。

 しかし、2012年に対馬・観音寺の高麗時代の観音菩薩坐像(1330年制作)が韓国人窃盗団によって盗まれた事件を契機に、日韓関係は大きく揺れ、仏像そのものが対立の象徴のように扱われるようになった。

 「本来1つであるはずの祈りが、事件によって引き裂かれてしまった。その現実を、今回の展覧会で見つめ直したい」。大澤氏はそう静かに訴えた。

「ゆげちゃん」との出会い──研究者の原点

 大澤氏の研究者としての歩みは、駒澤大学仏教学部での学生時代に遡る。もともとはインド哲学を志したが、サンスクリット語の難しさに挫折。一方で、高校3年の卒業旅行で訪れた奈良・東大寺法華堂において「悪いことをしてはいけないな」と胸を打たれた経験から、仏教美術へと関心を移した。

 青山学院大学大学院に進学した際、恩師から「中国語ができないと奈良時代の仏像研究は難しい」と告げられた。そこで、幼少期から囲碁を通じて独学していた韓国語を生かし、朝鮮半島の仏教美術研究へと踏み出した。

 修士1年の09年夏、23歳だった大澤氏は夜行バスと夜行フェリーを乗り継ぎ、単身で対馬へ渡った。目的は、九州国立博物館に寄託されていた高麗時代の地蔵菩薩遊戯坐像、通称「ゆげちゃん」の里帰り先を訪ねることだった。

 ほとんど計画を立てずに訪れた学生を、観音寺の地元住民は温かく迎え入れ、2日間にわたって車で島内を案内してくれたという。

 「ただの学生に、対馬の方々が本当によくしてくださった。この恩を仏像研究で返したい──その思いが今日の私の原点です」と大澤氏は振り返った。

対馬博物館構想の危機と「対馬展」の成功

 15年、大澤氏は総務省の「地域おこし協力隊」制度を活用した対馬市の「島おこし協働隊」として、対馬市博物館建設推進室に着任した。

 しかし現地では、「こんな何もない島に博物館を建てて、何を展示するのか」といった冷ややかな声も聞かれた。同年9月には、対馬市議会が博物館建設事業費を全員一致で否決。着任からわずか半年で、計画は白紙寸前まで追い込まれた。

 そこで大澤氏が頼ったのが、九州国立博物館の学芸員だった楠井隆志氏(現・県立美術館準備室)である。

 「大澤くん、展覧会をやろう」──その一言から2年がかりの計画が動き出し、17年、九州国立博物館で特別展「対馬」が開催された。近代以降、各地の国立博物館に散らばっていた対馬ゆかりの文化財を「里帰り」させた同展は、対馬の人々の意識にも変化をもたらし、22年の対馬博物館開館へとつながっていった。

 「今回の『九州渡来仏』展は、あの『対馬』展の続編なんです」。大澤氏は、自ら手がけた2冊の図録の背表紙を並べながら説明した。

12年半の旅を経て戻った観音寺の仏像

 観音寺の仏像は、12年の盗難後、韓国・浮石寺が「もともと自分たちの寺の仏像だ」と所有権を主張し、長期にわたる裁判となった。

 17年、大田地方裁判所の一審は浮石寺への引き渡しを命じたが、23年2月の二審では観音寺の所有権が認められ、同年10月に韓国最高裁で判決が確定した。日韓議員連盟などの働きかけもあり、24年5月、仏像は対馬に戻った。実に12年半におよぶ旅路であった。

 ただし、戻ってきたのは仏像本体のみだった。江戸時代に対馬の人々が仏像のためにつくり、数百年間にわたりかぶせられてきた宝冠は、窃盗団によって証拠隠滅のため破壊され、原形を失っている。

「観音寺の仏様が帰ってきてよかったね、で終わらせたくなかった。数百年の祈りの姿は、事件によって一瞬にして壊されてしまう。そのことも皆さんに伝えたくて、今回は壊された宝冠も展示しています」

 会場は静まり返り、大澤氏の言葉に聞き入った。

九州にある「200体以上」の渡来仏

 九州には現在、確認されているだけで200体以上の渡来仏が伝わっている。うち130体以上が対馬にあり、長崎県全体では48件以上(対馬36件、壱岐7件)。このほか福岡8件、佐賀4件以上、熊本5件、大分・鹿児島に各1件が確認されている。宮崎では、現時点で確認されていないという。

 「山口より東へいくほど、渡来仏の数は少なくなっていきます。これほど渡来仏が集中しているのは、日本では九州だけなんです」と大澤氏は強調した。

 その多くを祀っているのは大寺院ではなく、海岸沿いの小さな集落にある寺院や神社、お堂、祠である。

 地域の人々にとって、その仏像が「日本製か渡来か」は本質的な問題ではない。「集落を数百年、あるいは千年以上見守ってくれた仏様だから大切にしてきた」というのが実情だ。

 日本の仏像と渡来仏の区別がつかなくなるほど、九州の人々は渡来仏を地域の仏として受け入れ、守り続けてきたのである。

蒙古襲来の記憶と1988年の大発見

 1972年に博多―厳原フェリー航路、75年に福岡空港―対馬空港航路が開通すると、対馬では文化財の島外流出への懸念が高まった。

 そこで長崎県の依頼を受け、福岡県出身の菊竹淳一氏(当時・奈良国立博物館技官、後に九州大学名誉教授)が対馬に派遣された。その調査によって、「渡来仏の宝庫・対馬」が本格的に学術研究の対象となっていった。

 地元で「蒙古仏」と呼ばれていた仏像が実は平安前期の日本仏であり、逆に「日本の仏像」と考えられていた像が三韓時代の渡来仏だったという事例もあった。渡来仏が地域に深く溶け込んでいたことを象徴するエピソードだ。

 さらに88年、韓国のチョン・ヨンホ氏による対馬調査で、佐保の小さな祠から「453年(北魏・興安2年)」の銘をもつ金銅仏が発見された。

 日本への仏教公伝とされる538年、あるいは552年より約100年古く、さらに中国仏教美術の金字塔として名高い雲崗石窟にも先駆ける、中国金銅仏の創生期にあたる時代の作である。今回の「九州渡来仏」展では、この北魏仏が約30年ぶりに一般公開された。

 「開幕1週間前まで所蔵者の連絡先がわからず、あきらめかけていました。今回を逃せば、次にいつ見られるかわかりません」と大澤氏が明かすと、会場からは驚きの声が上がった。

「渡来仏」の3つの歴史と韓国研究者との視差

 大澤氏は、渡来仏には①故郷の歴史、②越境の歴史、③受容の歴史──という3つの歴史があると整理する。

 観音寺の仏像は、故郷での歴史はある程度わかるものの、どのような経緯で海を渡ったのかは不明で、それが裁判でも争点となった。

 「倭寇の略奪品なのか、正当な譲渡なのか。証明する術は現段階ではありません」
一方、九州には韓国美術史の枠組みだけでは位置づけが難しい、「独特な造形」をもつ仏像も数多く残っている。

 大澤氏はその理由として、韓国では戦乱や仏教弾圧によって失われた仏像が九州に残っている可能性、美を選び取る「日本人のフィルター」が働いた可能性、朝鮮半島の地方性が反映されている可能性──の3点を挙げた。

「韓国の研究者が九州の仏像を見て、『これは中国の仏像ではないか』と言った瞬間があります。研究者がどこで生まれ、何を見てきたかによって、仏像の見え方は変わる。だからこそ、日韓の研究者が対話する意味があるのです」

 仏像そのものだけでなく、それを見る研究者の視点の違いもまた、渡来仏研究の重要なテーマとなっている。

過疎化と盗難──守り伝えるという課題

 対馬では2012年、14年、19年と3度にわたって仏像の盗難事件が起きている。20年時点の人口は2万8,502人で、5年間で約3,000人、11.2%減少した。

 渡来仏を祀る海沿いの集落の多くでは過疎化が進み、住職不在の寺院や地区管理となった祠も増えている。

「警報機は潮風で壊れ、ネズミで誤作動する。博物館に預ければ地域のコミュニティが薄れる。答えは簡単ではありません」

 そのなかで大澤氏が「本来一番いいあり方」として紹介したのが、12年に盗難された後、戻ってきた対馬・海神神社の仏像である。現在も、地元住民が毎日朝夕に見回ることを条件として、地域での管理を続けているという。

「数百年守られてきた仏様を、次の世代へ手渡す心を育むこと。この展覧会がその一助になればと願っています」

 文化財を守ることと、地域の信仰やコミュニティを守ること。その両立が、渡来仏をめぐる新たな課題となっている。

再会する兄弟仏、そして継承される研究

 「九州渡来仏」展では、壱岐と糸島に伝わる高麗仏2体が20年ぶりに、また糸島と出雲に伝わる高麗仏2体が、渡来後初めてとなる数百年ぶりの再会をはたしている。

 もともと本尊と脇侍(きょうじ)として一組でつくられながら、交易などのなかで離ればなれになった仏たちが、九州国立博物館の展示室で再び顔を合わせているのだ。

 「同じペアの仏像を再会させるのが、この展覧会をやっていて一番うれしい瞬間です」と大澤氏は笑顔を見せた。

 1時間半におよぶ講義の最後、大澤氏は再び冒頭のメッセージを繰り返した。

「仏を祈る心に国境なし。渡来仏は故郷でも日本でも愛されてきた。九州の渡来仏は故郷の歴史の空白を埋める、非常に重要な存在です」

 そして、渡来仏研究の礎を築いた菊竹淳一氏の名を挙げ、「米粒ぐらいの力ではあるけれど、菊竹先生の研究を継承しながら渡来仏研究を続けていきたい」と結んだ。

 特別展「九州渡来仏──海を越えた旅路」は8月30日まで九州国立博物館で開催されている。大澤氏の講義は、単に仏像そのものを見るだけでなく、海を越えた仏たちの旅路と、それを長年にわたり守り伝えてきた人々の営みに目を向ける機会となった。

【お知らせ】第8回講座は「公開講座」として一般開放

NPO法人 福岡城・鴻臚館市民の会では、「第17期 福岡歴史観光市民大学」の第8回講座を、会員以外の一般の方にも門戸を開いた「公開講座」として開催する。

〔日時〕
2026年9月7日(月)午前10時〜午前11時30分 
〔講師〕
谷川浩道 氏(福岡商工会議所 会頭) 
〔テーマ〕
「福岡城天守の復元的整備について」 
〔会場〕
福岡市民ホール 小ホール 
〔参加費〕
2,000円 
〔申込方法〕
電話・FAX・メールにて先着順で受付

▼お申し込み・お問い合わせ先 
NPO法人 福岡城・鴻臚館市民の会 事務局
〒810-0042 福岡市中央区赤坂1-7-27-208号室
TEL:092-716-8238/FAX:092-716-8254
E-mail:fukuokajoshiminnokai_0528@yahoo.co.jp

 福岡城天守の復元をめぐる議論は、近年再び注目を集めているテーマである。福岡経済界の中枢を担う谷川会頭が「復元的整備」というかたちでどのようなビジョンを示すのか、市民が学びを深める貴重な機会となりそうだ。

【児玉崇】

関連キーワード

関連記事