光を失った裏磐梯(5)「役所の論理」「責任転嫁」

福島自然環境研究室 千葉茂樹

 問題を追記する。あきれた話である。

 私の言いたいこと、父の言葉「他人(ヒト)のせいにするヤツは死ぬ」。最後にも記載。

お役所問題

 この原稿の最終チェックをしていた9月18日、いつもの散歩道を歩いていたら、画像17の看板が出ていた。「遊歩道が雨でぬかるんで危ないので歩くな」とのことである。「猪苗代町建設課都市整備係」の設置である。

画像17

 私は、ここを毎日歩いている。今年の夏はほぼ毎日雨が降り、この道も8月からこの日まで、水に濡れた道であった。そのころから、とても滑りやすく、注意しながら歩いていた。看板が立てられた18日に、急に悪くなったわけではない。

 推測するに、町役場に「滑って転んだ」との苦情でも入ったのであろう。お役所の論理で「苦情が入ったから、立ち入り禁止にした」のであろう。

 同じ猪苗代町でも、別の見解もある。実は、日本各地で起きている豪雨災害が、磐梯連峰でも起きている。2年前、土石流災害が起きた。前出の環境省のように「やたらうるさい」役所もある。このため被災地の調査のため、猪苗代町農林課に「現場への立ち入り許可」を取りに行った。回答は、「山のなかへの立ち入りは規制できない。『自己責任』で入山して調査してください。」であった。

 このように、「同じ猪苗代町役場内でも見解が異なる」。

 なお、私が磐梯火山の調査を始めた1980年頃は、後者のような対応「自己責任」であった。

責任転嫁(せきにんてんか)するヒト、標的の公的機関

 ここ25年のヒトの行動を見ると、「他人のせい=責任転嫁」にするヒトが急増している。

 私の考えを書けば、「自分の行動は自分で責任を負うべき」である。自然のなかの道(登山道、遊歩道など)を歩く場合は、基本的に「自己責任」である。自然のなかでは、雨が降れば道がぬかるみ、滑るのは当たり前である。また、頭上から木の枝や幹が落ちて来るかもしれない。崖からは岩が落ちるかもしれない。これらの「リスクを覚悟の上」で、自然のなかの道を歩いているのである。

 極端にいえば、「人生そのもの(誕生から死までの道のり)がリスクだらけ」である。

 話は戻って、その「標的にされやすいのが公的機関」である。このため、公的機関の職員は「責任回避」に走る。その結果が画像17の看板である。

 今回の記事(1)~(4)に当てはめれば、山(森林、登山道、遊歩道など)で問題が起きた際に「管理責任」を問うから、「責任を取りたくない環境省や猪苗代町建設課」のような「すべてダメ対応」になる。すなわち、「リスクの元を断つ」対応となる。

 入山者も、山では「すべて自己責任」で行動すべきである。こんな状態が続けば何事も「すべてダメ」と規制されて「何もできない状態」になってしまう。

無法な保護者にあきれた管理職。
「学校現場での責任転嫁」

 まず、私が言いたいことから書く。

 山および学校に共通する問題「こんな状況(他人のせいにする社会)にした元凶は誰なのか、何なのか」、あなた自身でも考えていただきたい。

 以下に、学校における「親」「教員」「管理職(校長・教頭)」「教育委員会」の問題を書く。学校現場での「責任転嫁(~のせい)問題」である。

 学校では2000年頃から、生徒・保護者、とくに保護者が「子どもの問題を学校のせい」にするようになった。00年を境に急激に変わった。そして、教育委員会も管理職も責任を「現場の教員」に押し付けて、責任回避を図った。

 その結果、何が起きたのであろうか。私の定年退職の直前の頃は、先生方は生徒に適切な指導をしなくなった。生徒が問題を起こしても「自分の子どもでなくて良かった」と流すだけであった。だから、生徒指導部長としての私は忙(いそが)しかった。

 私は、教員が保護者(親)に「お前をブッ殺す」と因縁をつけられた現場を何度も見ている。私も保護者から「ブッ殺してやる」と何度か言われた。それを見ても管理職は何もしない。

 こんな親から生まれた子どもが、社会に出て行ったら、どうなるか想像に難くない。その上、学校は指導をしないのである。

 私は生徒指導部長として、この無責任な、指導もしない「教員・管理職」に腹を立てていた。とくに管理職には。管理職は「ブッ殺す」などと言った保護者(親)に「抗議をしない」のである。その場を収めることしかしなかった。要するに、現場の教員に「我慢を強(し)いた」のである。

 教員として最後の秋、私は「生徒指導の会議(各高校の校長・教頭・生徒指導部長が出席)」でとくに発言し、「上記の問題」を強く指摘した。

 『行動の善悪を理解していない生徒を社会に送り出して良いのか。管理職は、威圧行為をする親に抗議せよ。無責任教員を指導せよ。腹をくくれ』と。

 私は、上司を叱(しか)る「とんでもない平(ひら)教員」であった。
 なお、通常、私のようなことをすると「処分される」のでご注意いただきたい。福島県教育庁がこの発言を問題視した場合、私は「証拠を開示し(生徒指導部長だったのでもっていた)」、最悪の場合、教育庁(教育委員会)と「刺し違える覚悟」であった。私の計算では、これが表面化した場合、「各学校長および福島県教育庁の監督責任(問題放置の責任)」が問われるので、この発言は問題視されないと読んでいた。要するに、関係者が「一蓮托生(いちれんたくしょう)」になるので、校長が教育庁に報告(今風にいえばチクる)することはないと踏んでの発言であった。私の「死なば諸共(もろとも)作戦」である。

 私からいえば、「子どもは、親が世に送り出した」のであり、「学校は、その成長を助ける機関」である。最も責任を負うべきは「親」である。ここを履き違えている親が多い。

父の言葉

 最後に、太平洋戦争の激戦地で、傷病兵になりながらも生き残った父の口癖を書く。

「他人(ヒト)のせいにするヤツは死ぬ」★

 生死の淵(ふち)を彷徨(さまよ)った人間の「極限の言葉」である。

 意味の分からない方は、GoogleのAI(Gemini)に「責任転嫁 日常生活 他人のせいにするヤツは死ぬ とは」および「他人のせいにするヤツは死ぬ 激戦地の生き残りの言葉 その意味は」と入力して尋ねていただきたい。

(了)


<プロフィール>
千葉茂樹
(ちば・しげき)
千葉茂樹氏(福島自然環境研究室)福島自然環境研究室代表。1958年生まれ、岩手県一関市出身、福島県猪苗代町在住。専門は火山地質学。2011年の福島原発事故発生により放射性物質汚染の調査を開始。11年、原子力災害現地対策本部アドバイザー。23年、環境放射能除染学会功労賞。論文などは、京都大学名誉教授吉田英生氏のHPに掲載されている。
原発事故関係の論⽂
磐梯⼭関係の論⽂
ほか、「富士山、可視北端の福島県からの姿」など論文多数。

< 前の記事
(4)

関連記事