2024年11月22日( 金 )

【追悼文】天の定めは非情、末吉紀雄福岡商工会議所前会頭逝く

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コカ・コーラウエスト一級品にした功労者

末吉 紀雄 氏<

末吉 紀雄 氏

 2014年10月から2期目の末吉会頭体制が発足した。ところが昨年春ごろから体調をきたした。食道癌が見つかったのである。体調不良にも関わらず5月のドンタクでは職務を全うした。その姿は末吉氏の強い責任感を表していた。だがついに昨年8月には体調不良につき会頭を辞任したいとの申し出があった。癌の転移は速く肺・脳に拡大していたようである。

 故人末吉紀雄氏は中間市出身、1945年2月生まれ、東筑高校を卒業、西南大学を1967年に卒業して日米コカ・コーラボトリング(北九州コカ・コーラボトラーズを経て現在、コカ・コーラウエスト)に入社する。そこで福岡地所・榎本一彦会長の実父・榎本重彦専務に鍛えられたのである。重彦氏は当時の福岡相互銀行常務から日米コカ・コーラボトリングへ専務として転出されていたのだ。

 ここで徹底的に経営に関する事項を学ばされた。【コストを落とすとはどういうことか!!】、【その投資は必ず利益を生むものなのか!!その投資は必要があるのか!!】と追及を受けた。要は【現金を持った企業が強い】ことを叩き込まれたのである。
 生きた経営学を学んだ末吉氏は名経営者になる道を進んでいった。それを決定づけたのが近畿コカ・コーラボトリング(エリア・大阪府、京都府、兵庫県)と三笠コカ・コーラボトリング(エリア・滋賀県、奈良県、和歌山県)との合併である。下馬評では北九州コカ・コーラボトラーズが飲み干されるとみられていた。ところが結果、関西2社を末吉コカ・コーラが呑み込んだのである。小が呑み込むことが可能になった要因は現金をしこたま持っていたからである。まさしく榎本重彦氏の教えを忠実に実践したうえでの勝利であった。

オープン運営戦略展開道半ばで倒れる

 末吉氏の前会頭は九電工会長、河部浩幸氏であった。同氏の突破力は凄かった。河部氏の独断専行のパワーがあったからこそ福岡、九州の経済界における福岡商工会議所の地位向上が達成された。この功労は関係者の誰しもが認めている。言葉を変えれば事業第一創業者の役割を果たしたのである。しかし、その独善は永くは続かない。別の展開が求められてきた。組織のオープン化が問われる段階に突入したのである。

 天が故末吉紀雄氏の特性を発揮できる土俵を提供してくれたのだ。頭取に就任してすぐさま【情報のオープン化、共有化】に乗りだした。副会頭会議を活発化させて任務分担を明確化させる。そして部会長会では、方針を具体的に降ろして議論を活発にさせ、部会長の能力を引きだそうと努力した。そうなると議員総会も燃え上るようになる。商工会議所職員を引き連れて中州で慰安会を設けていたのも度々、目撃した。職員たちへ気配りもさすがだった。

 そして末吉会頭2期目が2014年10月から始まった。1期目の成果を踏まえて同氏の指導力がおおいに期待されていた。その矢先に病魔が襲ったのである。天の定めを憎む。いまでももう1期頭取職を完遂させていただきたかったと悔やむばかりである。合掌。

 

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