日本と中国の懸け橋として、経済・文化・教育など民間交流を推進
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(株)西日本日中旅行社 代表取締役 治田 敏
時代の潮流に飲まれて
1960年代の終わりに、北九州大学(現・北九州市立大学)の中国学科に入学しました。中国との国交はなく、中国関係で就職しようなんて思いもしなかった時代です。中国学科の卒業生は、中国語の教師か、スーパーのバイヤーなどの職がほとんどでした。そして時節は学生運動が盛んな頃で、学内は騒然としていましたが、とてもエネルギーに満ち溢れていました。
学生運動の影響で6年も7年も大学に在籍する学生が増えていたので、当時の教授たちは何とか卒業させようと、躍起になっていました。私もご多分に漏れず卒業できるような成績ではありませんでしたが、学科の教授に尻をひっぱたかれながら論文を提出し、無事卒業にこぎつけました。そのときの恩師には、足を向けて寝ることはできません。深まる中国との縁
共産主義を貫いてきたそれまでの中国は鎖国状態で、国の発展が大変遅れていました。他国との交易は必定で、経済を活性化させるために国内製品の輸出、優れた技術と資材の輸入を待ち望んでいました。
72年、田中角栄内閣の時代に日中国交正常化が成立しました。中国が日本と国交を結ぶための条件として、対外貿易3原則というものがあります。主に、「台湾と国交を結ぶな」という内容です。日本は日中共同声明に基づき、それまで国交を結んでいた台湾と断交してそれに臨みました。
同年、私は大学を卒業し日中友好商社の1つに入社しました。友好商社とは、日中間で国交がない時代に中国側から承認を得た商社のみが、貿易ができるよう政策的につくられた貿易会社です。当時、毎年春と秋の2回、広東省で広州交易会があり、商談で出張することになりました。大学ではほとんど勉強しなかった中国語を必死で覚え、取引に臨みました。学生時代より、この頃が一番勉強したかもしれません。中国専業のスキルを活かして
友好商社を退職し、(株)日中旅行社に入社。中国への渡航業務の取り扱いをしていました。89年に、天安門事件が起こると、危険だからということで外務省が中国への渡航を自粛しました。業務が止まり、同社も九州営業所の閉鎖に踏み切りました。福岡の社員は解雇です。そのうちに中国は元に戻るだろうと考えた私は、退職金を元手に(株)西日本日中旅行社を同僚とともに立ち上げました。天安門事件のため業務に難を来たした我々を、中国総領事館や中国の航空会社がそれぞれの立場で助けてくれました。おかげで、専業旅行社としての土台ができあがりました。
SARSや鳥インフルエンザ、尖閣諸島などいろいろな問題で、日中間の渡航は大きく揺さぶられます。日本人が運営している中国の専業旅行社は、数少なくなりました。円安のため、日本製品を求めて多くの中国人が来日しますが、最近の尖閣問題やPM2.5の影響で中国へ渡航する日本人は大幅に減りました。
冷え込んだ日中関係を改善するために2015年の春、九州日中ビジネス交流協会の立ち上げに参画しました。足かけ40年以上中国に関わった経験に基づき、日本と中国どちら側の対応もできるスキルやコネクションがあります。民間レベルで、ビジネスや交流のお手伝いができればと思っています。(談)
※記事内容は2015年8月31日時点のもの
<COMPANY INFORMATION>
(株)西日本日中旅行社
代 表:治田 敏
所在地:福岡市博多区冷泉町5-32
オーシャン博多ビル4F
設 立:1989年8月
資本金:1億円
TEL:092-283-8989
URL:http://www.nnr-fuk.co.jp<プロフィール>
治田 敏(はるた さとし)
1949年生まれ。北九州大学卒。貿易会社を経て、日中旅行社へ入社。89年の天安門事件を機に(株)西日本日中旅行社を設立。中国を専門に扱う専業旅行社として、長きにわたる中国との交流により、中国への深い見識を持つ。関連キーワード
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