オフィスビル収入で福岡地所が抜く
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不運が続く名門・紙与産業
昔から福岡では三大地主の一党のことを【渡邉・太田・大神三家】と呼んできた。大神家の一族の末裔の一部にはそれぞれに枝分かれして不動産業を営んでいる方々もおられる。その大神家の頭領が経営していた㈱祥雲は平成初頭のバブルに酔って倒産した。別格の太田家の本流は東京で東邦生命を起こしたが、この生命会社は外資に買収されてしまった。ただし地元に残った太田家は九州勧業を掌握して一等地で不動産経営を行っている。
絶対的な権威を誇ってきたのが渡邉家である。「渡辺通り」と呼ばれるほどに福岡市中央区に広大な敷地を有している(もちろん、取得した時期は田畑が大半であった)。この渡邉家は紙与産業を中核にして様々な会社を経営してきたが、現在は不動産業に徹する4社(紙与産業、紙与不動産、渡辺地所、サンライト)でグループを構成している。歴史を辿ると渡邉家の事業創業は1825年(文政8年)になる。そして紙与産業の設立は1920年3月だ。
以前は企業総合力に応じて渡邉家は地元財界活動に貢献してきた。各方面からも強い尊敬の念を抱かれていたのだ。ところが今年(2015年)8月に90歳で亡くなられた與三郎氏の代からは対外活動から足を洗い疎遠となった。そのため、紙与産業、渡邉家の存在感が希薄となり、この名門の名を記憶する世代は老齢層に限定されているようになった。そのようななかで渡邉家を不幸が襲った。
渡邉家の不幸とは2010年3月に当時の社長であった6代目・與和氏を50代の若さで失ったことである。ここで一族の事業継承のプログラムが根本から練り直さなければならなくなり、再び、5代目・與三郎氏が会長職のまま、社長を兼務することになった。そして今年8月、同氏が永眠され、その孫の7代目・輿之氏が跡を継ぐことになった。與和氏の死後5年間、会社経営は受け身に終始してきた。願わくは、與三郎・與和両氏の時代に【博多の森ビル】という名声を固めてもらいたかった。福岡地所4代目へ
片や、さまざまな話題で注目される福岡地所を一族としては4代目となる榎本一郎氏が継いだ。同氏の曽祖父・四島一二三氏が事業を起こし、福岡相互銀行(最後の名・福岡シテイ銀行)を発展させた。2代目・四島司氏の時に西日本銀行と合併して同氏の偉業はストップした。だが救いの担い手がいた。一二三氏の有能だった娘が、同氏の番頭であった榎本重彦氏と結婚して榎本一彦氏が誕生したのだ。一彦氏が当時の福岡相互銀行の関連会社を引き継ぎ、そして発展させたのが福岡地所である。
この福岡地所が質的転換を図ったのは【キャナルシティ博多】を立ち上げてからである。バブル後遺症を払拭するまでに時間を要した。不動産リートの金融技術を駆使して借金を外部化したことで勢いを盛り返し攻勢に転ずるようになった。一二三氏からみれば4代目に当たる榎本一郎氏が福岡地所の拡大基調に乗せる責任を背負っているのである。一彦氏が挑戦しなかった海外進出にも果敢に踏み出そうとしている。
そして念願の天神進出だ。天神再開発での中核事業に位置を担おうとしている。現在、紙与産業グループ、福岡地所のオフィスビル収入はそれぞれ35億円、56億円と試算する。福岡地所が上回っている。もちろん、福岡地所の場合はリートを組成している物件であるから丸々、手元に入ってくるわけではない。まだまだ紙与産業の方が比較にならないほど財務基盤は強いはずだ。しかし、今後の2社の事業計画の展開をうかがうと近い将来には、「福岡の質量一のデベロッパーは福岡地所」という評価が定まるであろう。今回のレポートは、そのターニングポイントを予想するものである。法人名
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