有澤建設通算100周年 中興の祖・木下泰博物語(4)~第2躍進期が近づく
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業界の地殻変動、激震
昭和50年代(1975年~85年)の10年間は、まだまだ官公庁受注のウェイトが高く業界序列が固定しており、松本組を頂点とした福岡建設協力会が福岡の建設業界に君臨していた。この旗の下に岩崎建設、辻組(現・九州建設)、高松組が支えていた。しかし85年に近づくにつれて業界の秩序が揺らぎ始める。「松本組を頂点とした建設協力会、なにするものぞ!!」という対抗勢力が登場してきたのである。福岡市建設協同組合が新たに設立されて数で福岡建設協力会を圧倒する動きが強まったのだ。
この福岡市建協の主導権を握ろうとする野心家たちは、ただ官公受注の談合指名権を握ろうとする野望しか持ち合わせていなかった。結果として、この団体は内部抗争に明け暮れて福岡建設協力会の対抗勢力にはなりえなかったのである。このみにくい官需を巡る内部談合が世間に流布されて反感が広がった。これによって「税金を食い物にする建設業界」というブラックキャンペーンが打ちだされることになる。85年になると業界団体の結束に疑問を抱く業者も増えてきた。
業界の地殻変動を担ったのは官需に頼らずに民間工事で完工高を伸長させてきた勢力である。照栄建設、大高建設、前宮建設などがその一端を担った。いずれも設立は72年以降で、当時では後発組である。照栄建設は農家地主向けのアパート建設、大高建設は物流施設建設、前宮建設は「色物物件」と三社三様の絞り込み受注戦略で業績を急伸させた。「官需よりも民間建設投資が増えていく」という時代の波動を掴んだことで、この3社は躍進したのであろう。
福岡建設協力会でも序列の地殻変動が起きてきた。その新たな勢力は東建設、高木工務店の2社である(この2社は、もともと福岡建設協力会メンバー)。マンション建設棟数が増えるのを見越して受注に専念した(マンション建て屋として注力した)ことで、この2社は完工高を短期間に伸ばした。松本組を凌ぐようになった。そして88年(昭和63年)、東建設は福岡の建設業者として初めて100億円企業となったのである。
東建設と高木工務店を厳密に比較すると、前者はデペロッパーに頼らずとも独立独歩の地力は有していたが、後者はまさしく「マンション建て屋」から脱皮できていなかった。結果は2社とも倒産した。「木造の建て屋」が時代の流れから駆除されたことは記述した。平成第1期のバブル崩壊では「マンション建て屋」主体の建設業者の大半が潰れた。橋詰工務店もしかりである。
さらに新しい要素としては不動産を絡めた建設工事が目立ち始めたのである。「創注」や「造注」というものだ。例えば東建設は当時の福間町(現・福津市)で土地を取得、造成して物流会社に建物込みで売るという売上方式である。東建設が倒産した遠因の1つが、この福間案件の頓挫であった。同様に不動産絡み建設業者として名を馳せたのがトミソー建設である。最大完工高が700億円に迫ったのが90年(平成2年)。結果、負債1,000億円という最大の倒産となった。
時代を読み切る
雌伏10年で企業の蓄積を果たしてきた木下泰博氏は様々な時代の見通しを考察してきた。東京に行くたびに地価の値上がりと建設着工の増加の状況を目撃しつつ「福岡にも同様の波が押し寄せてくる。バランスと元請けという原則は崩してはいけない。バブルには絶対、踊らされない」という自説を曲げないように心掛けた。再び業績推移を眺めてみよう。
18期(85年期)13億7,432万円、28期(95年期)34億8,110万円と2.5倍の規模拡大に成功した。そして何よりも利益が急増したことは誇りである。28期で経常利益1億円を突破させたのだ。有澤建設は業界での中堅の地位を不動のものにしたのである。
(つづく)
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