「脊振の自然を愛する会」の代表・池田友行氏による、脊振山系の四季を伝えるエッセイ。
2020年8月12日 13:30
脊振山駐車場を利用すると、脊振山系に咲いている夏の花に簡単に会いに行くことができる。8月6日(木)に向かった。午前8時時点では、脊振山駐車場の気温は23度と市街地の気温と比べて6度くらい低く...
2020年7月29日 16:52
野河内渓谷は福岡市で唯一の大型渓谷だ。脊振山系の井原山(標高983m)直下にある水無谷から流れる水と水無鍾乳洞の湧水が合流してできた水無川は、野河内渓谷へと続いている...
2020年7月15日 16:21
梅雨時の山の花といえば、「ヤマアジサイ」だろう。花(顎)の色は、園芸種のアジサイと比べて、可憐で淡い紫色だ...
2020年6月23日 16:01
10年ほど前、脊振の縦走路を歩いていると白い米粒状の花が登山道にたくさん落ちていました。「不思議なかたちの花だ」と思い、頭上を見上げても、この花を確認できませんでした...
2020年6月18日 13:30
2008年10月から11月の2カ月間、西南学院大学ワンダーフォーゲル部 OBOG、福岡市早良区役所と一緒に脊振山系で道標設置事業を行った。今年その道標設置事業開始から12年が経った...
2020年5月28日 16:29
脊振では5月から6月にかけて白い樹木の花が咲きます。ヤマボウシ、エゴの花、クマノミズキ、ゴマギ(ゴマの匂いがする)、ガマズミなどです。
2020年5月22日 07:00
5月になると山は樹木の花や種々の山野草でにぎやかになる。椎原の登山口から矢筈峠へ登り、縦走路を脊振山方面から椎原峠方面へ歩いていると1本の黄色い花が目に飛び込んで来た。「会いたい」と思っていたキンランである...
2020年5月13日 07:00
新型コロナウイルス感染拡大の影響による緊急事態宣言が発令されているため、自宅での自粛生活が続いている。それに合わせたように家内が背中を痛め、歩けない状態になり、2週間、「24時間介護」を強いられた。脊振の花が気になる。ミツバツツジの花も咲き、ブナの新芽も出ている頃だろう。
2020年4月17日 16:57
そろそろムシカリ(虫狩、オオカメノキともいう)の白い花が咲いている頃だろうと思い、天気予報を確認。「明日は山に行くから」と家内に告げる。
2020年4月9日 14:00
パソコンのメールで「3回目のブナ林調査を行います」と会員に知らせた。すると会員の Gから「『うちの会』にこのままメールを流そうか」と思う、という旨の電話があった...
2020年4月2日 07:00
今年の山の春は訪れが早い。春をいち早く知らせるマンサクの花や、ホソバナコバイモ(ユリ科)の花も、例年より1週間から10日…
2020年3月25日 17:06
3月18日に2回目のブナ林調査を行いました。金山周辺で「脊振の自然を愛する会」4人が集合、そこに植物に詳しい女性Kが応援に来てくれました。佐賀県側の金山脊振林道を利用し、中山地蔵登山口から金山(967m)へ登山開始。
2020年3月23日 13:30
日本のブナの北限は北海道の黒松内(くろまつない)で、渡島半島の付け根にある標高200mの場所にあります(函館から北に100km)。また南限は鹿児島県の大隅半島の高隈山(標高1,000m)で、同じ鹿児島県の屋久島にはブナがありません。
2020年3月5日 15:44
福岡管区気象台の発表によると、この冬の平均気温は統計開始以降、最も高かったそうだ。福岡市のこの冬の平均気温は9.8度、昨季の暖冬を上回り、平均より1.9度〜2.4度高かったという。今年は山の春の訪れが早いのではないかと思っていた矢先の気象台による発表である。
2020年2月28日 10:00
ところどころに残る雪を踏みしめ、アップ・ダウンを繰り返しながら、休憩地点となるビューポイントへと進む。ようやく小爪峠と金山の縦走路の中間点にある岩場のビューポイントに着いた。午後1時ちょうどだった。ここからは脊振山が一望できる。
2020年2月27日 17:14
2月21日(金)、「脊振の自然を愛する会」の会員Mを誘い、脊振山系:金山周辺の道標整備に出かけた。Mは私より年上で、かつてF大学の教授をしていた。
2020年2月14日 17:07
佐賀県・天山スキー場でのインストラクターの仕事も一段落し、脊振への思いが強くなってきた。2月13日(木)、当日の天気予報は晴れで、気温は18度となっていたので、かねてから気になっていた脊振山頂の看板修復に車で向かうことにした。
2020年2月7日 16:09
2010~12年の冬は脊振山や宝満山、英彦山でも積雪が多い年でした。天気予報を見て「明日は雪」という予報を見ると胸が弾んだものです。
2020年1月23日 15:00
私が脊振の写真を撮り始めたのが50歳の時だったので、かれこれ25年が経ちました。サラリーマン時代、自宅から30分で行ける脊振の沢をスニーカーで登って金山の山頂に着いた時、偶然、取引先のMに出会ったのがきっかけです。