2024年11月27日( 水 )

舛添知事 母親介護で親族断絶?地域の目は語る

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 政治資金の私的流用問題で世間を騒がせている舛添要一東京都知事。1948年、福岡県北九州市八幡東区(当時は八幡市)に生まれた彼は、八幡高校から東京大学に進む。卒業後は、国際政治学者としてメディアで活躍、2001年には自民党公認で参議院議員選挙に比例区で立候補し、初当選を果たす。08年の麻生内閣では厚生労働大臣に就任。14年に東京都知事に初当選した。そして今年、高額な海外出張や湯河原の別荘へ通うのに公用車を使っていた事実が発覚。政治資金の公私混同まで指摘され、大スキャンダルへと発展している。

kaigo 「かつては地元から有名人が出たことで応援する人もいましたよ。ただ、お母さんの介護をめぐって、家族仲が悪くなっていったみたいですね」
 舛添氏の出身地・八幡東区で取材を重ねると、こういった声が聞こえてくる。母親の介護に関しては、活動拠点である東京と母が暮らす北九州を往復して介護をしていたという苦労談が自著でも語られている。また、著書では地元で暮らす姉たちが母の介護でひどいことをしていたから自分が介護をするようになったとも記されている。ところが、地元の声はまったく違う。

 「お姉さん夫婦は懸命に介護をやっていましたよ。お姉さん夫婦が暮らす家は階段を上らないといけないのですが、旦那さんがお母さんをおぶっている姿をたびたび見ていました。本当に一生懸命に介護されていたと思います」
 地域の人たちが見ていたのは、母親を介護する姉夫婦の姿。そこに舛添氏は登場しない。

 「舛添さん(都知事)がマスコミのテレビカメラを引き連れてきて、母親の車いすを押す姿を撮影させたこともありました。いつもではないですよ。たまに来て、撮影をするというような感じだったと思います。あれを見たら、舛添さんの印象はとてもいいですよね。舛添さんはメディアから取り上げられるから、世間の人はそのイメージを持ちますが、お姉さんたちの姿は見えないから世間に何も言えない。お姉さんたちが介護を懸命にやっていたことは、地域の人たちしか知りませんよ。お姉さん夫婦は亡くなられましたが、周りに愚痴ひとつこぼすことなく、立派でしたよ」

 これが地元の評価。舛添氏と地元親族の間では母親の介護を巡って確執が生まれ、今では絶縁状態になっているという。
 舛添都知事は政治資金の公私混同疑惑について、第三者を明日25日までに選任して調査を開始するとしている。

【特別取材班】

 

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