城ガールが巡る日本の名城~真田氏の居城・上田城(6・前)
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戦国の武将・真田幸村(信繁)。赤い甲冑に六連銭の旗、その武勇から「日本一の兵(つわもの)」と称された。「真田」といえば大阪の陣での活躍に目が行くが、そのルーツは信濃(信州)にある。
信濃・上田城(長野県上田市)は、幸村の父・真田昌幸が築き、徳川の大軍を二度も退けた難攻不落の名城だ。
今回は“信州のお城レポート”第二弾として、上田城編をお届けする。上田城とは
上田城は、天正11(1583)年に真田昌幸が築城。千曲川の分流である尼ヶ淵(あまがふち)に面して建てられていたことから、別名「尼ヶ淵城」とも呼ばれている。堀と土塁と一部の石垣によって築かれた平城で、1585(天正13)年と1600(慶長5)年の二度に渡り徳川の大軍を退けた。しかし、関ヶ原の合戦後に破却。1622(元和8)年から仙石氏、1706(宝永3)年から松平氏が入城し、石垣や櫓などの再建が行われ、現存する櫓は県宝(長野県指定文化財)に指定されている。
松本から上田へ
松本駅から始発の長野行電車に乗り込む。車窓から見える景色は深い霧に覆われており、通過駅の姨捨駅(おばすてえき)でふと“姨捨伝説”を思い出す。霧が無ければ「日本三大車窓」の1つに数えられるほど絶景だが、この時ばかりは不気味な雰囲気が漂っていた。
乗り換えを含め1時間45分ほどで上田駅に到着。周りを見渡せば、至る所に「真田」の文字。NHK大河ドラマ・真田丸のポスターが沢山貼られており、町全体から出る熱気を感じる。駅前広場にある「真田幸村公騎馬像」は、上田にいた頃の幸村を模しているのか、若い武人の姿をしていた。上田城築城400年を記念して建てられたものだが、築城した父・昌幸でも、嫡男である兄・信幸(信之)でもなく、幸村であるところに“幸村人気”を実感させられた。
上田の城下町を歩く
上田駅から上田城下への道は、緩やかな上り坂になっている。お城へ続く道を真っ直ぐ進んでいくと、地元の商店が立ち並んでいた。真田丸のポスターに、真田の家紋、真田の甲冑、真田十勇士の切り絵・・・まさに怒涛の真田推し。延々と続く上り坂だったが、地元の真田愛を眺めながら進む足取りは、自然と軽くなっていった。
小道に入り進んでいくと、上田藩主居館表門が見えてきた。お堀沿いの桜は、満開に咲き誇りとても美しい。ここはかつて幸村の兄・信之の屋敷があった場所だ。表門は一度焼失しており、今あるのは1790(寛政2)年に再建されたものだ。わずかに残るお堀と土塁が真田時代に築かれたものだという。
現在この門の向こうには県立上田高校があり、写真撮影時には生徒たちの元気な声が響いていた。※クリックで拡大
公園となった上田城
まだ朝だというのに、多くの人が上田城を目指しており、改めて“真田人気”を実感させられる。
二の丸橋から水が抜け空となった外堀を覗き、その想像以上の深さに少し驚いた。現在下は遊歩道になっているため、降りることも出来る。公園化されていることもあり、かなり整備が進んでいるようだ。
深いお堀に加え、城への入り口は狭く、上田城の防御の固さを感じる。先に進むと二の丸跡に到着。右手には上田市博物館、左手には信州上田真田丸大河ドラマ館があり、こちらは長い行列を作っていた。“人が少なくなった時に、入ってみよう”とのんびり構えていたが、その後も人足が途切れる事は無く、結局博物館だけを見ることに。残念。※クリックで拡大
先に進むと、上田城の代名詞といえる櫓門が見えきた。上田城パンフレットの表紙などにもよく使われているこの建物は「東虎口櫓門」という。左右の櫓は1949(昭和24)年に移築・復元、中央の櫓門は1994(平成6)年に復元されたものだ。櫓門には大きな武者窓(格子が入った窓)があり、そこから眼下の敵を狙撃できる。正面に立つと狙撃され、左右には深いお堀、“退却!もう逃げるしかない!”と、敵兵気分でテンションが上がった。
櫓門の石垣には、「真田石」と呼ばれる直径約3mの大きな石がある。これは上田城築城の際、父・昌幸が柱石として据えたもので、兄・信幸が松代に移る際に、父の形見として持ち出そうとしたが、石が動くことはなかったという。真田親子が袂を分かった「犬伏の別れ」を思い出し、物悲しい気分になった。※クリックで拡大
櫓門をくぐると、すぐ正面には眞田神社。この神社は「落城しない、“落ちない”」として、受験生に人気とのこと。神社には城外に続く抜け穴だという伝説が残る「真田井戸」があり、井戸の脇を抜けた先には「西櫓」がある。西櫓は仙石氏が上田城改修の際に建てたと言われる、とても貴重な建物だ。
西櫓からは、尼ヶ淵を見下ろすことができる。かつてこの下には、千曲川の分流が流れていた。大手門から入ると気づかないが、この場所に立つと上田城が険しい崖の上に建てられたお城だと言うことがよくわかる。
崖の根元にある石垣は、崖が川の水に削られる事を防ぐために、上田藩主・松平忠愛が築いたものだ。積み上げられた石垣に、荒々しく切り立った崖の断面、そしてその上には櫓。思わず惚れ惚れしてしまうその堂々とした光景は、ずっと眺めていても飽きることはなかった。※クリックで拡大
(つづく)
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