「人は宝」を柱に好業績のコールセンター(前)
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(株)ヒューマンライフ
コールセンター日本一を自認、そこまでには大きな波乱が
「宝の中の宝といふは人材にしくはなし」。徳川家康は一番の宝は人材であると言ったが、マネジメントの父とも言われるピーター・ドラッカーは、「それを行動で示している組織はほとんどない。本気でそう考えている組織はさらにない」と言った。
しかし、(株)ヒューマンライフの中川英敬代表取締役は「人は宝」という理念を徹底して追求することで、スタッフ定着率の高い会社を築き上げた。「弊社の業務は、健康食品などのコールセンター代理業。例えば、A社という健康食品会社のお客さまからの問い合わせやご注文をA社に代わって受ける仕事です。これまで『日本一のコールセンター』を目指してきましたが、それは達成できていると思っています」と胸を張る。ここでいう日本一とは、会社やコールセンターの規模ではない。「応対が素晴らしく、優しい気持ちや思いやりが伝わってくる」といった質の高さで日本一だということである。その根底にあるのが先述の「人は宝」という理念だ。だがしかし、ここまで来るにはさまざまな大波乱があった。
クレームの山、大量の退職者。社員と向き合い乗り越える
同社の設立は1998年。地場有力企業を退職してのことだ。中山社長はもともと理系が得意で大学も工業系に進み、同社に入社。工務課に所属していたが、7年後、新事業である人材派遣の営業職に就いた。周りから営業に向いていると言われての異動だったが、その評価通り力を発揮し、営業部門の責任者に昇進した。しかし、人材をコストと見なす派遣業のあり方に疑問を持つようになり、人を活かすことのできる新規事業を模索するようになった。
そこで目を付けたのがアメリカで始まっていたテレマーケティングだ。当時は個人客と企業をつなぐ仕組みがなく、消費者の意見を企業に届けるツールはせいぜいアンケート程度だった。「フリーダイヤルもない時代でしたが、先々需要が見込めそうだという理由から、会社から新規事業として採用されました」。自身のやりたいことが認められ、3年間の事業計画を立てて全力で取り組んだ。
しかし、なかなか結果が見えてこないと2年半で事業撤退が下された。それならば自分で事業を起こそうと独立を決意。「資金の準備もなく周囲からは止められましたが、お客さまと一対一の関係を築けるテレマーケティング事業に惹かれていたのかもしれません」と中山社長は語る。こうして「日本一のコールセンター」という大きな目標に掲げ、ヒューマンライフを創業することとなった。しかし、いきなり資金面で躓いた。「地場有力企業の看板がなくなると、どこの銀行も相手にしてくれません。やむを得ず高金利の商工ローンを借りました」(中山社長)。
(つづく)
<COMPANY INFORMATION>
代 表:中川 英敬
所在地:福岡市博多区博多駅東2-17-5 アークビル
設 立:1998年1月
資本金:1,000万円
TEL:092-482-8500
URL:http://www.human-life.co.jp<プロフィール>
中山 英敬
1957年、福岡県田川市生まれ。大学中退後、地場有力企業に入社。その後、98年に独立し(株)ヒューマンライフを創業する。2011年4月、福岡県中小企業家同友会代表理事に就任し、中小企業の経営者・後継者を多方面からサポートしている。関連キーワード
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