追悼(株)サニックス創業者・宗政伸一氏、ラグビースピリットに裏打ちされた「突破力」(前)
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太陽光発電設備の施行・販売を手がける(株)サニックス(福岡市)の創業者で社長の宗政伸一(むねまさ・しんいち)氏が2017年1月7日、咽頭膿瘍(いんとうのうよう)の疑いで死去した。67歳だった。後日「お別れ会」が開かれる。
宗政氏は、サニックスを東証一部上場企業に育てただけでなく、スポーツ振興や青少年の育成に尽力した。ことのほかラグビーを愛した。上京中の突然死
宗政伸一氏は突然死だった。
宗政氏が代表を務めるラグビーチーム「宗像サニックスブルース」は、ジャパンラグビートップリーグ2016-2017シーズンに、2年ぶりに昇格を果した。
今季は好調。16年10月2日の第5節、本拠地の福岡・グローバルスタジアムで、東芝ブレイブルーパスと対戦した。戦前の下馬評では東芝有利と言われたが、結果は31-21でサニックスが勝った。「宗像サニックスがトップリーグに波乱を引き起こした」と評された。第14節は新年1月8日、東京・駒沢オリンピック公園陸上競技場で、リコーブラックラムズと対戦する。宗政氏は恒例である東京での新年訓示に上京。合わせて、宗像サニックスを応援し、その夜に福岡に戻るスケジュールだった。
異変が生じたのは1月7日朝。宗政社長から東京支店に「体調が悪いので、病院を探してほしい」との連絡があった。救急病院を探して了解を取り付け、宗政氏に携帯電話に入れたが応答がない。
宿泊先のホテルに連絡し、ホテルマンが部屋に駆けつけた。宗政氏はベッドに倒れていた。救急車で病院に搬送したが、病院で死亡が確認された。死因は「咽頭膿瘍の疑い」とされた。これは、扁桃腺が大きく腫れあがり、喉を塞いでしまう病気だ。1月11日、福岡市中央区古小烏町の福岡斎場で、宗政伸一氏の告別式が行われた。喪主は長男の寛氏(41)。10日付で副社長から社長に昇格した。
葬儀には、ラグビー関係者が多数参列した。ラグビーの集団戦の突破力に魅せられた
15年9月19日。「ワールドカップ史上最大のアップセット(番狂わせ)」と評されたラグビー日本代表と南アフリカ代表戦。終了する寸前に決勝トライを決めたのが、宗像サニックスでプレーしているWTB(ウイング)カーン・ヘスケス選手。歴史的勝利に、宗政氏はことのほか喜んだという。
宗像サニックスは1994年、サニックスラグビー部として発足した。グローバル企業のチームがほとんどで、大学ラグビーで活躍した選手たちがプレーするトップリーグのなかでは、異色な存在だ。叩き上げの選手たちで、主力は海外から招いた外国人選手だ。2019年のラグビーワールドカップの日本代表を率いるヘッドコーチに就いたジェイミー・ジョセフ氏は、草創期の95年から2000年までサニックスに所属していた。
宗政氏は、ラグビーの経験はなかった。ラグビー部を創設したのは、会社の象徴が欲しかったからだ。「シロアリ屋」と軽く見られていたサニックスの社会的地位を高めるには、ラグビーはぴったりくるスポーツだ。集団戦での突破力。宗政氏はラグビーに自らの経営観を投影したのである。
(つづく)
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