2024年12月22日( 日 )

焼酎ブーム収束後も成長続く濵田酒造(2)

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 長い歴史を持つ濵田酒造だが、全国的な焼酎酒造となったのは、現代表取締役社長の濵田雄一郎氏の功績が大きい。
 雄一郎社長が、実家である濵田酒造に専務として入社したのは1975年のこと。当時の同社の焼酎生産量は、360キロリットルあまりであった。同氏はこれを2001年には約22倍の8,000キロリットルに伸ばしている。
 雄一郎社長は「本格焼酎を真の國酒へ、更には世界に冠たる酒へ」を目標に、自社の売上だけでなく、長い歴史を持つ薩摩焼酎の保護と伝承を重視している。このブレない思いこそが、同社が成長し続けてきた1つの要因だろう。

 同社は「伝兵衛蔵」、「傳藏院蔵」、「薩洲金山蔵」という3つの蔵を所有する。それぞれに「伝承」、「革新」、「継承」というテーマがあり、テーマに沿った酒を製造している。また、これらの酒蔵は単なる酒造工場ではない。「伝兵衛蔵」と「薩洲金山蔵」には焼酎造りに関する展示場などを設け、訪れた人々に薩摩焼酎の伝統と文化を伝える。「傳藏院蔵」は最新設備が導入され、杜氏の製造ノウハウをデータ化。これにより高品質の焼酎を安定的に量産している。
 金山蔵は焼酎製造が始まった江戸時代、伝兵衛蔵は明治・大正・昭和の焼酎製造、傳藏院蔵は現代・近未来と、3つの蔵で本格焼酎の歴史500年を語る。

 また、競合社に先駆け、03年より(株)サントリーとの共同開発を開始。この共同開発で生まれた本格芋焼酎「黒丸」は、サントリーブランドとして販売されているが、ラベルの製造元には濵田酒造の社名が明記されている。焼酎文化の保護・伝承に重きを置く雄一郎社長。サントリーとの提携を望んだ最大の理由は、本格焼酎を日本全国、ひいては世界に広めるために大手酒造メーカーとの連携が必要だったためだ。
 サントリーのブランド力、濵田酒造の伝統文化と技術といった双方の強みを生かした提携により、サントリーは本格焼酎事業へ参入を果たし、濱田酒造は自社の名前を全国に広めた。

 これらの取り組みは「焼酎ブーム」の波と合致し、競争が激化する業界のなかで同社を押し上げてきた。「焼酎ブーム」に乗ることができたのは偶然ではない。雄一郎氏の先を見据えた積極的な経営姿勢と、薩摩焼酎に掛ける情熱がもたらした結果であるといえる。

(つづく)
【中尾 眞幸】

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