日航ジャンボ機墜落事件炭化遺体と軍用燃料
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NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は、1985年に群馬県山中(御巣鷹山)に墜落した日航機123便にまつわる疑惑について触れた、8月17日付の記事を紹介する。
元日航客室乗務員の青山透子さんが123便墜落で犠牲になられた方の33回忌に合わせて、この8月に刊行された上記新著『日航123便墜落の新事実』には、タイトルにもあるように、墜落に関する新事実が散りばめられている。
ジャンボ機が墜落した直後、長野県南佐久郡川上村に在住する中嶋初女さんという女性が、午後7時05分に、長野県南佐久郡臼田警察署に、墜落現場の正確な情報を伝えていた。
「NHKスペシャル 日航ジャンボ機事故 空白の16時間 ~“墜落の夜”30年目の真実~」(2015年8月1日放送)
また、米空軍の輸送機U130パイロット、マイケル・アントヌッチ中尉が重大な証言を公表した。
「当機は、陽が長くなった夏の夕日が沈みかけていたころ、機首を北北西に進路を取った。午後7時15分、航空機関士が1万フィート付近で雲の下に煙のようなものが見えるのを発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向けた。御巣鷹山の周辺はとても起伏が多かった。地表からおよそ2000フィートまで降下する許可を得た。墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと暗くなり始めていた時だった。山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。時刻は7時20分だった。」米軍輸送機は午後7時20分に墜落現場を確認している。そして、この輸送機が米軍の救援ヘリを視認したのが午後8時50分。ヘリは地上に救援隊員を降下させようとしたが、横田基地から「直ちに基地へ帰還せよ」との命令が下された。
救援ヘリは救助続行を希望したが、横田基地は帰還命令を下した。米軍輸送機は午後9時20分に日本の自衛隊機が現地に到着したのを確認して帰還した。上記2015年8月15日放送のNHKスペシャルは、墜落当日夜にヘリコプターで墜落現場を視認した自衛隊パイロットの証言も収録している。
自衛隊は現地に2機目のヘリコプターを、13日午前零時36分に入間基地から派遣している。機長の金子正博氏は、このフライト墜落現場を上空から確認したことを証言している。同時に、陸上からは長野県警の大澤忠興氏がぶどう峠から、航空自衛隊ヘリコプターが墜落現場を上空から確認し、サーチライトを当てている場面を正確に伝えていた。
航空自衛隊の金子正博氏が墜落現場の報告の際に、地上の警察照明の位置を「北北西30度4マイル」と伝えるべきところ、「北北東30度3マイル」と誤って伝えたとNHK報道は伝えるが、にわかに信じ難い話である。自衛隊は墜落後、午前零時36分にかけて、2度にわたって墜落現場を空から確認している。
米軍は墜落から20分後には墜落現場を確認している。当局が墜落現場を特定できなかったというのは、完全なフェイク=虚偽情報である。
実際に救援活動が始まったのは翌日13日の午前7時以降である。この間に一体何があったのか。そして、なぜ、早期の救援活動が行われなかったのか。きわめて深刻で深い闇がある。※続きは8月17日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」第1822号「日航ジャンボ機墜落事件炭化遺体と軍用燃料」で。
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