第2のタカタになるか 神戸製鋼・闇の事件史(後)
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(株)神戸製鋼所の製品データの改ざん不正問題は底なし沼の様相を見せてきた。巨額の損害賠償、取引停止が現実味を増してきたのだ。欠陥エアバッグのリコール問題で倒産したタカタの二の舞になりかねない事態だ。神鋼はスキャンダルの宝庫だった。1970年代以降に就任した社長が立て続けに総会屋事件や政治資金規正法事件違反で後に引責辞任するなど、この会社の不祥事体質は根が深い。1997年には、 (株)第一勧業銀行と野村證券(株)の総会屋利益供与事件が起きた。この事件の淵源は神鋼の内紛にあった。
第一銀行は三菱銀行との合併潰しを児玉に頼む
神戸製鋼のメインバンクは第一銀行だった。神戸製鋼事件とほぼ同時期に起きたのが、三菱銀行と第一銀行の合併未遂事件である。第一銀行は神戸製鋼の紹介で、児玉誉士夫氏に急接近する。
第一銀行頭取の長谷川重三郎氏は、第一銀行の創設者、渋沢栄一氏の息子だ。69年に三菱銀行頭取の田実渉氏と対等合併することで合意した。この合併に「三菱に吞み込まれる」と猛反対したのが、第一銀行会長の井上薫氏。児玉誉士夫系の総会屋やブラック系の雑誌が井上氏の味方となり、合併反対の援護射撃をした。木島氏は、その隊列の先頭に立った。児玉氏の力を借りて合併を潰すことに成功した井上氏は、長谷川氏を追放して、頭取に返り咲いた。2年後の71年、第一銀行と日本勧業銀行の合併を成功に導き、第一勧業銀行のドンとして君臨する。合併潰しの功労者である木島氏は、大手を振って井上氏の部屋を訪れるようになる。第一勧銀の総会は、木島氏が仕切った。
宮崎邦次氏は70年に第一銀行の神戸支店次長として神戸製鋼の担当となった。このとき、エリート・バンカーは転機を迎えた。神戸製鋼の経営中枢に食い込み、これをバネに本店に異動し、井上薫氏の秘書役となり、出世階段を駆け上がった。神戸製鋼と井上薫氏。そして第一勧銀。井上氏の子飼いであった宮崎氏は総会屋との深い闇を体の芯で知っていた。この闇の呪縛を断ち切るには死しか選択肢はなかったのかもしれない。
一方、神戸製鋼では、児玉氏を寝返らせることに成功した総務部長の鈴木博章氏が、論功行賞で11代社長に就いた。以来、亀高素吉氏(15代)、熊本昌弘氏(16代)、水越浩士氏(17代)の歴代社長は、総会屋の窓口である総務部長や総務担当役員の経験があった。製造業であるのに、技術屋ではなく、総会屋担当の総務部長が社長の登竜門と皮肉られた。第一勧銀の総会利益供与事件の2年後の99年、神戸製鋼は、総会屋・奧田一男氏への利益供与事件で摘発された。「東の木島、西の奧田」と呼ばれた神戸製鋼の総会屋だ。翌年3月、金銭提供などの商法違反で、元専務ら3人が大阪地裁で有罪判決を受けた。利益供与事件当時の会長だった亀高素吉相談役が辞任した。亀高氏の総会屋との関係は長くて深い。
神戸製鋼所の不正体質は根深いものがある。【森村 和男】
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