大塚家具、大塚久美子社長が迫られる「大政奉還」「大手売却」の選択(後)
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大塚家具の警戒レベルは、経営不振から経営危機に引き上がった。問題は、資金流出に歯止めがかからないこと。資金繰りに窮した大塚家具は、貸し会議室運営のティーケーピーに出資を仰いだ。創業者の大塚勝久元会長を“排除”した長女の大塚久美子社長だが、今や土俵際に追い込まれた。なぜ、経営が失速したのか。
お家騒動の影の主役は社外取締役だった
久美子社長は、叩き上げの勝久氏の自慢の娘であった。兄姉のなかで飛び抜けて成績がよく、名門の白百合学園高校から一橋大学経済学部に進み、卒業後は当時としては珍しい女性総合職として(株)富士銀行(現(株)みずほ銀行)に入行した。家業を手伝うために大塚家具に入社。個人商店からの脱却を目指したが、はかばかしくなかったので退社。経営コンサルタント会社の執行役員についた。
家業には興味はなかったが、大塚家具の業績が悪化したため父親に呼び戻されて09年、大塚家具社長に就任。だが経営方針を巡り会長の勝久氏と対立。14年、久美子氏は社長を解任された。15年、久美子氏は反撃に出る。社長職を奪還。連日テレビのワイドショーを賑わした劇場型親子ゲンカだ。これで知名度は全国区になった。
久美子氏が錦の御旗に掲げたのが「ガバナンス」(企業統治)の強化。ガバナンスの強化は、社外取締役と同じ意味で使われている。大塚家具のお家騒動の影の主役は社外取締役だった。
委任状争奪戦で、社外取締役である長沢美智子弁護士が金融機関の支援を取り付けたことが、長女が勝利した要因。機関投資家の行動原理「スチュワードシップ・コード」に沿うと、長女に排除された父・勝久氏の株主提案は敵対行為とみなされ、金融機関はそれに加担することはできない。それを指摘して、金融機関の支持を得た。長沢氏は軍師「女官兵衛」と言われた。勝久氏は社外取締役に敗れたのが、コトの真相である。勝久氏は、なんで社外取締役たちがシャシャリ出てくるのか、最後まで理解できなかっただろう。
家具の商売を知らない取締役たち
現在、大塚家具の取締役は8名。社内取締役4人と社外取締役4人。社内取締役のうち、久美子社長など3人は外部からきた。生え抜きは1人のみだ。
経営を監督する取締役と業務の執行を担う執行役員を分離するのが、欧米流のガバナンスである。社外取締役で構成される取締役会が、すべて意思決定する。大塚家具はコンサルタントの教科書に忠実な取締役の構成だ。社外取締役は大学院教授、弁護士、公認会計士。社内取締役も大手百貨店や大手銀行出身者たち。生え抜きの1人以外、家具の商売を知っている人はいない。
大塚家具はグローバル企業ではない。上場会社とはいえ、中小企業の町の家具屋さんだ。欧米の大企業のガバナンス体制だけを移植して、正常に機能すると考えたのだろうか。絵に描いた餅で終わるのは、素人でもわかる。久美子社長は組織図だけは、社外取締役中心の体制にしたが、まったく機能しなかった。かえって、凋落に拍車をかける結果を招いた。
久美子社長は、経営理論を理路整然と説くコンサルタントだが、切った張ったの修羅場に立ち向かう経営者ではなかった。土俵際に追い詰められた久美子社長に残された選択肢は二つ。経営を父親に戻すか、大手家具に身売りするかだ。
(了)
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