2024年12月23日( 月 )

今イタリアで何が起きているのか?(前)

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日伊経済連合会 会長             
ディサント(株) 代表取締役 ディサント・ダニエレ 氏

 この数日、イタリアはこれまでに前例のない政治的、そして民主主義の危機に直面している。日本での報道のみでは、おそらく現地で今、何が起きているかを完全に把握できる人は少ないだろう。
 国外でイタリアの関連機関により伝えられてきたポジティブなイメージの反面、イタリア本国ではグローバリゼーション、国際競争、脱工業化、人口減少などの複雑な経済構造上の問題や、過去の政権の公的債務や、中小企業の構造的弱体化などに対する構造改革の欠如などに起因した経済基盤の弱さによる不安定要素が数十年来にわたり尾を引いている。そんな中、今年3月4日、総選挙が行われた。

勝利したのは「五つ星運動」と「同盟」による連立与党だったが

ディサント・ダニエレ 氏

 2011年のベルルスコーニ内閣の後、ナポリターノ前大統領のもと、国民による直接投票を経ずに発足した、いわゆるテクノクラート内閣による政権交代は実に4回におよんでおり(モンティ内閣、レッタ内閣、レンツィ内閣、ジェンティローニ内閣)、その間、国民は傍観を強いられてきた。

 そして、この春の総選挙では、皆さまにも容易に予想できたように、イタリア国民は、過去の与党政権と正反対の立場にある2つの政党、「五つ星運動」と「同盟」への支持を示した。

 簡単にいうと、欧州連合に対して「移民問題においてイタリアは欧州に置き去りにされた(欧州の政策で移民の流入時に一番初めに入国した国が面倒を見ないといけないという取り決めは、地理的に海に面しているイタリアにとって圧倒的に不利)」「北(ドイツ)に有利な経済金融政策により、イタリア経済が弱体化した」と批判的で、現在のようなドイツ主導の欧州緊縮財政政策では、経済回復は不可能であるとして、欧州でイタリアが完全な主導権を獲得すべきだという主張である。

 もともと、この2つの政党は政治的立場としては遠い存在同士(「五つ星運動」は大衆迎合主義、ポピュリズム政党で、「同盟」は極右政党)だったが、過去の政権がとった政策を転換し、国の利益のためにあるべきという民意の現れを尊重すべきとし、連立政権を目指すかたちで合意に至った。

大統領による欧州連合への「忖度」?

 両党は党員投票により共通政策を策定した後、ジュゼッペ・コンテ氏(プーリア州出身の元弁護士・教授)を首相に推薦し、閣僚人事案を提出したが、現大統領のセルジオ・マッタレッラ大統領が、金融大臣候補のパオロ・サヴォーナ氏の任命を拒否するという異常な事態となった。(イタリア大統領は、首相や大臣の任命権をもつ)

 サヴォーナ氏は、82歳の大学教授・経済学者でイタリア中央銀行の総裁を15年にわたり務めたうえ、過去にも1度、通商産業大臣を経験した人物。欧州連合に対して非常に批判的な立場をとり、EUの政策や条約を各国間で平等にするための再議論の必要性を唱えており、マッタレッラ大統領による欧州議会への「忖度」が働いたのではないかと考えられている。

 日本の報道で五つ星運動-同盟の連立政権を「ユーロ離脱派」と表現しているケースをいくつか見かけたが、両党は、EUやユーロからの離脱については最善の策ではないということを明確に断言している。
マッタレッラ大統領は、欧州諸国(とくにドイツ)と金融市場が、新しい経済大臣候補への拒否反応を示すのではないかと恐れるあまり、五つ星運動-同盟の連立政権における経済金融政策の要となるはずであった金融大臣候補を、国民やメディアに対して正当な理由を示さぬまま、拒絶するという暴挙に出た。これによって3月の総選挙からの政治の空白を乗り越え、出発の準備を整えた新政権は、新しい壁にぶち当たることとなった。

 イタリア国民は選挙によって、「五つ星運動」と「同盟」の政策を支持するという意思表示をしたのに、マッタレッラ大統領により、新政権の成立が阻まれているという前代未聞の異質な事態に、イタリア国民の多くは、「国の政治に自分たちの意思が反映されないばかりか、他国、とりわけドイツの顔色をうかがい許可を求めなければいけなくなったのか」「現在のイタリアには真の民主主義は存在しなくなったのではないか」という懐疑をもち始めている。

(つづく)

<プロフィール>
Daniele Di Santo(ディサント・ダニエレ)
1979年10月、イタリア・ローマ出身。2010年3月にディサント(株)を設立し、代表取締役に就任。13年から「西日本国際ビジネスフォーラム」を毎年開催しているほか、15年1月には、イタリアと日本の経済交流の活性化を目指し、相互の経済・文化などの関係や交流を強化・促進するために「日伊経済連合会」を立ち上げ、会長に就任した。

 
(後)

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