2024年11月24日( 日 )

井筒屋が3店舗閉鎖~厳しさ増すデパート業界(5)

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~閉店する3店舗の概要について~ (1)  【表1】を見ていただきたい。

<この表から見えるもの>
(1)(株)山口井筒屋宇部店

◆(株)宇部ちまきやと共同出資し(株)井筒屋ちまきやを設立。商号を(株)宇部井筒屋に変更。1977年全館建替えオープン。2008年5月、(株)宇部井筒屋を(株)山口井筒屋に商号変更。同年10月3日、(株)山口井筒屋は宇部市から山口市に本社を移転。

◆売上高のピークは1995年2月期で72億円。2018年2月期はピークの4割にも届かない28億円と低迷している。
 「山口井筒屋」は(株)ちまきやが山口市中市商店街で運営していた「ちまきや」(地下1階・地上5階)を引き継ぎ、2008年(平成20年) 10月3日に再開業した。宇部店は閉店するものの、「山口井筒屋」が本店とともに生き残ることになったのは、メインの北九州銀行を傘下にもつ山口FGグループへの配慮が働いたものと思われる。

◆宇部店はグループ所有物件。近くには宇部市役所や公的機関もあり宇部市の中心地にあることから2018年12月末に閉店後、不動産業者に売却すると見られている。

(2)(株)コレット井筒屋(店名/コレット)
◆コレットが入居するビル(セントシティ北九州)は1993年11月28日(平成5年)、小倉そごうとして開業した。2000年7月12日、そごうグループは民事再生法の適用を申請したが、小倉そごう・黒崎そごうは認められず、12月25日に閉店し清算。

◆その後継テナントとして2002年2月、小倉玉屋が開業した。それが実現したのは北九州財界の重鎮であり、福岡財界とも太いパイプをもつ(株)ゼンリン・大迫忍社長(当時)の尽力だった。小倉そごうと井筒屋とが百貨店競争を繰り広げるなか、最も苦境に立たされていた小倉玉屋の増資を2000年春、個人で引き受けて1億円の資本金を4億3,000万円に増額。小倉玉屋の経営危機を救ったのだが、その努力も空しく、小倉玉屋は開業してわずか10カ月後の12月25日に閉店。小倉玉屋閉店後、その後継店の候補として高島屋の名が挙がったが、小倉玉屋を支援していた大迫氏は、競合していた井筒屋が「今度は高島屋と戦えば、地元百貨店が消えていく」という井筒屋・中村社長(当時)の申し出を受け入れた。そのため北九州経済浮揚のために地権者を説得し、井筒屋と親しい伊勢丹を誘致。2004年2月10日に小倉伊勢丹が開業した。しかし、それも長続きせず4年後の2008年3月25日、小倉伊勢丹は休業。

◆その6日後の4月1日、井筒屋が引き継ぎ社名をコレット井筒屋(後に店名をコレット)として開業したものの、わずか11年(2019年2月28日)で閉店することになった。

◆売上高のピークは開業期の2009年2月期で135億円(営業月は10カ月)。2018年2月期はピークの8割にも届かない103億円。小倉そごうの進出が井筒屋の経営に今も大きなダメージを与えていたことがわかる。

▲井筒屋 本店
▲井筒屋 山口店

▲2019年6月以降は本店および山口店の2店舗での営業となる。(写真はいずれも8月3日撮影)

(3)(株)井筒屋黒崎店
◆1959年(昭和34年)11月、八幡店(後の黒崎店)が開業。2001年10月、メイト黒崎の黒崎そごう店跡に移設オープンしていたが、来年5月末に60年の歴史を閉じる。

◆売上高のピークは2004年2月期で226億円。2018年2月期はピークの6割にも届かない129億円となり、ここにも黒崎そごうを含め、そごうとの戦いに勝ったものの、営業不振が続き、「刀折れ矢尽きて」閉店を決めたようだ。

(つづく)
【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】

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