【『北方ジャーナル』記者の被災地ルポ(8)】「また住みたい」厚真町吉野~無傷で助かった男性
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北海道胆振東部地震で最も大きな被害を受けた、震源地近くの厚真町。小山のすそに沿った集落で34人中19人が犠牲になったと伝えられる吉野地区では、奇跡的に無傷で助かった男性が、瓦礫(がれき)となった自宅に足しげく通い続けていた。
「ずーっとここ。生まれも育ちもここさ」
苫小牧市の建築会社に勤務する脇田之正さん(66)。曾祖父の代から暮らしてきた町は「のどかで、いい所だった」という。自宅の前に広がる水田では稲穂が垂れ始め、集落を容赦なく襲った土砂の濃褐色とは対照的に、山すその平野を黄金色に染め始めている。
9月6日未明、その瞬間は何の前触れもなく訪れた。「ドドン」という音とともに、突き上げるような縦揺れ。その後の激しい横揺れがどのぐらい続いたのかは覚えていないが、「身体が1~2メートル流された感覚」は記憶に残っている。揺れが収まってから気づくと、自分の腰のすぐそばに自宅の屋根があった。平屋建てのはずだった自宅は裏山からの土砂に押されてせり上がり、目の前の舗道に向かって押し出されていた。電柱が根元から折れて別の電柱に折り重なり、昨年買ったばかりの新車はあっけなく瓦礫に押し潰された。
「家族全員が無事だったのは、うちを含めて2軒だけ」と、脇田さんは声を落とす。両隣の家では、同世代の男性と若い兄弟がそれぞれ犠牲になった。脇田さん自身はもちろん、同居する母(91)と妻(56)も無傷で助かったのは、ほとんど奇跡といえる。街灯のない暗闇の中、救助のヘリコプターが駆けつけたことで3人は命を取り留めた。「これが真冬だったら」と想像すると、身の縮む思いだった。
「みんな助け合って暮らしていたのに、こんなことになってしまって……涙も出ないわ」
もう住めないだろうと理解しつつ、脇田さんはかつての自宅に何度か足を運んだ。家族の写真や仏壇の「過去帳」など、思い出の品を捜し出しては持ち帰る。自身は高齢の母を伴って苫小牧市のアパートに居を移したが、妻は厚真町の避難所に身を寄せているという。故郷の吉野には、戻れない。だが――
「できればいつかまた、厚真で暮らしたいね」
それが何年後になるのかは、まだわからない。
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