2024年11月29日( 金 )

韓服(ハンボク)は危機に瀕しているのか?~現代社会との融合と伝統継承(前)

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日韓ビジネスコンサルタント 劉 明鎬 氏

 各国には固有の伝統衣装があり、その国の文化、習慣、生活のレベルなどが色濃く反映されている。そして、伝統衣装は時代とともに変化を遂げ、現在に至っており、その大切な文化遺産を維持・伝承するため、それぞれの国ではさまざまな努力がなされている。各国の伝統衣装としては、日本の着物、ベトナムのアオザイ、インドの伝統衣装にはシャリ(サリー、女性着用)が、中国のチャイナドレス(チーパオ、女性着用)があるように、韓国には韓服(ハンボク)という伝統衣装がある。

 ハンボクは残念ながら現在、日常生活では洋服にその地位を奪われ、結婚式や記念日など特別な日にしか着ることがなくなった。それでも韓国テレビドラマの時代劇などに、ハンボクを着た人が登場しているので、ご存知の方も多いはずだ。日本ではハンボクというより、女性衣装であるチマチョゴリという言葉のほうが馴染み深いかもしれない。韓国語でチマは「スカート」、チョゴリは「上着」を指しているが、韓国ではチマチョゴリを含む伝統衣装のことをハンボクと言い、一般的にハンボクという単語を使用している。

 ハンボクの特徴を挙げるならば、色が鮮やかで優雅で美しいこと、上下が分離されていること、見栄えを優先する洋服と違って体に良く、しかも、体のラインをきれいに隠してくれること、韓国の伝統が生きている服であること、などであろう。
 ハンボクの歴史はとても長く、高句麗・百済・新羅の三国が鼎立した三国時代(BC1世紀~AD7世紀)から始まったとされる。高句麗・百済・新羅の遺跡-王や貴族の墳墓の壁画-から、ハンボクの痕跡(ハンボクを着た人物画など)が見つかっている。身分制社会だったころの韓国では、ハンボクの色やかたちの違いが身分や年齢の差を現しており、服装を見ただけで、その人がどういう属性かわかるようになっていた。

 韓国は1897年に国号が李氏朝鮮から大韓帝国に変わり、この時期を境に西洋文物が押し寄せるようになったとされる。韓国の人々はずっとハンボクを着ていたが、当然、この時から衣服にも変化が訪れ、西洋から洋服が韓国に入り、洋服とハンボクが同時に存在するようになり、その後次第にハンボクは洋服に取って代わられ、日常生活の衣装ではなく、結婚式などの特別な日に着る特別な服になってしまった。

 このような歴史的背景のなかで、現代社会におけるハンボクに大きな変化があらわれる。1つは、ハンボクを着る人と場面が減少し、ハンボク自体が存続の危機に瀕しているということだ。ハンボクはなぜこうなってしまったのかという理由について、ハンボクは実用的ではなく不便である、値段が高い、時代遅れでファンション性が低いからとされている。もう1つは、伝統のハンボクを改造して現代的にアレンジした“生活ハンボク”の登場である。伝統的なハンボクと現代風にアレンジされたハンボクの共存がどのように展開していくのかが注目される。

(つづく)

(後)

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