2024年12月24日( 火 )

ホテル乱立の中洲5丁目~変貌し続けるエリア

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 西日本最大級の歓楽街、中洲。飲食ビルが林立し、各店舗の電飾看板やよもやま話に興ずる人々の笑い声で煌びやかな同エリアだが、5丁目は少し異なる様相を呈している。とくに、5丁目から「昭和通り」に抜ける通りはホテル新設ラッシュが続いており、同じ「中洲」でも、その雰囲気はまったく違ったものになっている。

ホテル建設現場が並ぶ中洲5丁目の通り

「キャリーバッグが列をなす」

 焼鳥『本陣』中洲店を挟み込む格好で、大型ホテルが2棟建設中だ。同店から見て昭和通り方面で建設中なのが、客室数257室を予定する「(仮称)中洲五丁目ホテル計画」。(株)竹中工務店所有の土地を三井不動産グループが賃借し、ホテルの運営を手がける。

『(仮称)中洲五丁目ホテル計画』外観イメージ

 同店から見て、明治通り方面で建設中なのが、客室数338室を予定する「THE LIVELY HAKATA FUKUOKA(ザ・ライブリー ハカタ フクオカ)」。同所で運営されていた「IPホテル」跡地に誕生する、「ミレニアル世代(主に1980年以降に生まれた世代で、グローバルでは全人口の3分の1に達し、今後の消費の大きな一翼を担うことでも、その消費嗜好や価値観について最近とくに研究が進んでいる世代)」向けの客室も備えた意欲的なホテルとなっている。運営は、(株)グローバルエージェンツが手がける。

『THE LIVELY HAKATA FUKUOKA(ザ・ライブリー ハカタフクオカ』外観イメージ

 また、昭和通り沿いで営業していた「豊和銀行福岡支店」跡地でもホテル建設が進む。(株)日本エスコンが開発を手がける「(仮称)博多区中洲5丁目ホテルプロジェクト」がそれだ。そのお隣ではHISホテルホールディングスによる「変なホテル福岡博多」が営業中。

 中洲5丁目では、キャリーバッグを引く旅行客を目にしない日はない。そして、その傾向は、今後ますます高まっていくと予想される。

「さまざまな顔をもつエリア」

 数多の開発を経て、ホテル密集地へと変貌を遂げつつある中洲5丁目だが、もともとさまざまな顔をもつエリアだった。

 先述の『THE LIVELY HAKATA FUKUOKA(ザ・ライブリー ハカタ フクオカ)』建設地は、幕末の頃、福岡藩の精錬所の敷地内だったとされる場所だ。同精錬所は、理化学研究所としての役割を担っていたとされる。

 終戦後、「(仮称)中洲五丁目ホテル計画」建設地には、東宝が運営する映画館「福岡宝塚会館」がオープン。当時は、5つのスクリーンを展開する福岡最大の映画館として、映画好きたちから愛されていた。

 また、戦前・戦後の「石炭景気」は、中洲全体で芸者衆の活躍を支えた。中洲5丁目でも、数多くの飲食ビルが建ち並び、その面影は平成最後の年でも残っている。

川口ビル

 中洲5丁目周辺は、マンション開発地として活況を呈した時期もあった。その一翼を担ったのは、(株)ディックスクロキだった。「リバーフェイス博多(117戸)」などのマンション開発を手がけ、注目を集めた。

 時代ごとに在り様をかえていく中洲5丁目。目前に迫る「令和」の時代は、観光客が列を成す、宿泊スポットとして認知されるに違いない。

【代 源太朗】

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