2024年11月24日( 日 )

突如、コクヨが、ぺんてるの“筆頭株主”になったワケ~根底にはぺんてるの創業家と経営陣のお家騒動が(後)

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ぺんてるは創業家の3代目を解任

 この騒動の発端は、2012年5月、ぺんてるの創業家3代目、堀江圭馬社長が取締役会で解任されたクーデター劇に溯る。

 ぺんてるの前身は、1911年に筆職人・堀江利定氏が創業した筆屋「堀江文海堂」。家業を継いだ幸夫氏(2010年99歳で死去)が、戦後の46年に大日本文具(現・ぺんてる)を設立。1960年代に開発したサインペンが大ヒット、自ら米国市場で普及に奔走。文具国際見本市で配ったサインペンが米国大統領の報道官に渡り、ジョンソン大統領が書き味を気に入って、「大統領お気に入りのペン」と報道されたというエピソードは有名。売上の6割を海外であげる世界的メーカーに成長した。

 堀江圭馬氏は創業者、幸夫氏の孫。米国・ロサンゼルス生まれ、東京育ち。慶應義塾大学法学部に進学。カヌー部に入り、3年生のときインカレで優勝した。92年にぺんてるに入社。米ジョージ・ワシントン大経営大学院へ留学。1日10時間の猛勉強で、MBA(経営学修士)を取得。父親の利幸氏が急逝したため02年圭馬氏が32歳の若さで社長に就いた。

 圭馬氏は体育会系の人間だ。カヌーの急流下りはもとより、パラグライダーでの空中遊泳、乗馬のライセンスもとった。空手は世田谷大会で3位の腕前。野生動物が好きで、ケニアのサバンナ、インドの虎を見るために出かける。東奔西走、席を暖めることはない。

 御曹司の趣味・道楽は、業績絶好調の頃であれば、大目にみられただろう。だが、ヒット商品に恵まれず、業績は低迷、2期連続の赤字経営に陥った。当時42歳の圭馬氏は取締役会で62歳を過ぎたウルサ型の4人の役員の退任を求めたが、業績不振を理由として圭馬氏の緊急解任動議が出され可決した。

 後任社長には、和田優・常務取締役生産本部長が昇格。76年、早稲田大学理工学部工業経営学科を卒業してぺんてるに入社した生え抜きの技術者だ。

  圭馬氏は、その後、トップ復帰を目指して筆頭株主として何年も活動を続けていたが、支持は得られなかった。株主である他の堀江一族は圭馬氏の復帰に反対し、経営陣を支持してきたからだ。

 圭馬氏は、社長への復帰をあきらめ、家族とともに保有していたぺんてる株37.45%をファンドに売却した。売却額は70億円程度とみられている。

 圭馬氏は18年2月、(株)ラーテルハート(東京・杉並区)を設立して社長に就任。ぺんてる株を売却した資金を元手に、消費財を対象とした新製品開発の支援事業を開始した。

希望していたプラスではなく、望まなかったコクヨに売却

 圭馬氏と完全に切れたぺんてるの経営陣は、マーキュリアに文具大手のプラス(東京・港、非上場)との経営統合を希望していると伝えたと報じられた。プラスは、18年12月期の連結売上高は1,772億円。文具業界ではコクヨについで2位。

 ところが、マーキュリアは、ぺんてるに事前の連絡なしに、突如、ぺんてる株をコクヨに譲渡した。ぺんてるとプラスは東京の会社だが、コクヨは大阪の会社。東京人と大阪人の肌が合わないのは、すべての業界に当てはまる。コクヨは統合先として望んでいなかった。

 しかも、マーキュリアと堀江圭馬氏は近い関係にある。ぺんてるがコクヨの傘下に入った後、圭馬氏が社長に復帰する密約があるのではないかと、経営陣が疑心暗鬼に囚われたとしても無理はない。文具業界を賑わしたM&A劇。さて、どう決着がつくか。

(了)
【森村 和男】

(前)

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