2024年11月24日( 日 )

ビジネスリーダーに捧げる「アートの愉しみ方」!(中)

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「浮世絵」が流出し、ジャポニスムが誕生、印象派を生む

 ――今回は具体的にどのようにアートと向き合えばいいのかを教えていただけますか。課題にも関連して、先生は6月15日に東京で講演会をされました。以下のような表題になっていましたね。

岩佐倫太郎の東京・美術講演会6月15日(土)15時00分~17時00分 京大・東京オフィス
「マティス・ピカソの中に北斎を見た」~ここが西洋美術を理解する勘どころ~

 北斎らの浮世絵の影響が、印象派どころか、セザンヌや野獣派のマティス、キュビスムのピカソにまでおよび、長い時間軸で深い影響を与えている事実を、画像をご覧いただきながら皆さまと共有していきます。

インタビューを行ったグランドプリンスホテル新高輪の喫茶にて

 岩佐 東京での講演会は、昨年11月に続き2回目になります。今回も定員を超える各界の著名な方々やビジネスリーダーの方が多数ご参加いただきました。熱心にご聴講いただいただけでなく、後日にもお礼や励ましのメールまで頂戴して、改めて最近、多くのリーダー層の方が美術に高い関心をお持ちなのが感じられ、僕としても大変頼もしく、熱い手ごたえを感じています。

 2回にわたる講演会を通じて僕がお伝えしようとしたのは、ひと言でいいますと、「浮世絵が流出して、ジャポニスム(注1)が誕生し、ジャポニスムに触発され、印象派絵画が生まれ、印象派から近代の西洋美術のすべての流れは始まった」ということです。

 僕はこのことを10年以上前から講演などで語ってきました。しかしながら、はじめのころは、こうした言説はとくにインテリ層ほど不評でした。「浮世絵が印象派を生んだんです」「オルセーで見る印象派の名画は実は、日本の母親から生まれた西洋とのハーフなんですよ」などというと、あからさまに懐疑と不満の声を挙げる方も多くおられました。日本がそんなに立派なはずはないだろう、という反応なんです。しかし、ようやく近年に至って、このことは美術史上の定説であり、「最新の知見」であるとして認められるようになりました。

向かって左が広重、右がゴッホの模写
向かって左がドビュッシーの楽譜表紙、右が北斎の「神奈川沖浪裏」

【注1】ジャポニスム(仏:Japonisme):19世紀後半から20世紀にかけて、ヨーロッパで流行した日本趣味で、絵画、工芸、インテリア、音楽などにまでおよぶ。万国博覧会への出品などをきっかけに、日本美術(浮世絵、琳派、工芸品など)が注目され、西洋の作家たちに大きな影響を与えた。ゴッホは『名所江戸百景』の広重を熱狂的に模写し、クロード・モネが夫人に日本の着物を着せ扇子をもたせた肖像も有名。ドガは浮世絵のコレクターとしても知られている。

ビジネスリーダーの学びは“印象派”から入ってください

 さて、ご質問の「ビジネスリーダーはアートとどのように向き合えばいいのか」についてお答えいたします。ポイントは大きく2つあります。

 岩佐 1つ目は端的にいうと、「ビジネスリーダーのアートの学びは“印象派”から入ってください」ということです。印象派は19世紀後半に生まれた西洋画壇最大の山脈です。その後のポスト印象派、野獣派、キュビスムなどもすべて印象派から流れ出て、印象派の影響で生まれたものです。印象派の山脈の上に立てば、西洋美術の来し方も行方も流れは一望のもとに手に取るようにわかります。しかも、我々はすでに印象派を知っているというアドバンテージもあり、さらに自然愛好など日本人の感性にもフィットして、絵の楽しみを素直に享受しやすいカテゴリーなのです。

ゴッホは浮世絵の心酔者で、モネはコレクターであった

 2つ目がとても重要です。印象派はどのように生まれたのでしょうか。印象派の父がターナーの風景画やクールベの写実主義だとすれば、先にも述べたように印象派の母は日本の「浮世絵」(注2)です。印象派のモネは浮世絵のコレクターで、ポスト印象派の有名なゴッホが浮世絵の心酔者だったのはよく知られた話です。では、どのような点がルネサンス以来続いてきた西洋絵画に新風を吹き込み、画壇を驚愕させたのでしょうか。それには、エキゾティックな異国趣味は割愛しても、次の3つの視点を挙げることができます。

 《自然崇拝》それまでの西洋絵画には厳然としたランク付けがありました。ピラミッドの頂点は「神話・宗教」であり、次に「歴史・肖像」が来る。「風景・風俗・静物」は一番下に位置づけられていました。風景はお添え物だったんです。しかし、浮世絵の影響も大いにあって、風景画がどんどん描かれるようになります。北斎、広重などの風景画に彼らはインスパイアされました。

 《春画》西洋のヌード史はルネサンスに始まるのですが、キリスト教の性倫理に従えば、「女神」以外のヌードは許されていませんでした。ところが19世紀後半に、ヨーロッパに浮世絵が20万枚以上日本から流出します。その5分の1が春画だったと言われます。春画のあからさまな性表現は衝撃的だったでしょう。その影響を受け、「近代美術の父」といわれるマネは、キリスト教性倫理のタブーを打ち壊して、「オランピア」などあからさまな娼婦のヌードを描き、伝統的なアカデミックな美術界を震撼させたわけです。

 《多視点》ルネサンス以来、西洋絵画はすべて「単視点」でした。絶対的不動の1点があって、そこからすべての景色を再現し、遠近法は遠くの1点に収斂するというものです。2次元の画布に3次元が表現できる、ルネサンスが生んだ大発明でした。

北斎の「江戸日本橋」

 ところが北斎の『江戸日本橋』などは、そんなことはお構いなしに、「多視点」で眺めた景色を自在に合成して、一枚の絵のなかに同居させています。「絶対的な1点の視点より、人間の主観に沿って、絵を多視点の合成したものにする方が、これからの西洋絵画の進むべき道だ!」と明敏にもその重大な衝撃に気づいたセザンヌは、机の上の林檎でこの多視点の合成を西洋絵画では初めて実現して見せます。今にも転がり落ちそうな、例の林檎の絵です。

セザンヌの「リンゴとオレンジ」

 「リンゴ一個で、パリじゅうを驚かせて見せる」とは、浮世絵の技法の先進性を密かに換骨奪胎したセザンヌが思わず吐露した言葉です。

 その後に興った、ピカソやブラックのキュビスムはまさに、多視点から見た対象物の幾何学的な分解と、再合成の絵画手法といえます。北斎の影響はピカソにまでおよびます。

【注2】浮世絵:江戸時代の風俗、とくに遊里・遊女・役者などを描いた絵。江戸の庶民層を基盤に隆盛した。代表的作者として、喜多川歌麿・歌川広重・葛飾北斎などが有名。西洋近代絵画、とくに印象派に与えた影響は大きい

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
岩佐倫太郎氏(いわさ・りんたろう)
 
美術ソムリエ・美術評論家
 大阪府出身。京都大学文学部(フランス文学専攻)卒業。大手広告代理店で、美術館、博物館や博覧会などの企画とプロデューサーを歴任。ジャパンエキスポ大賞優秀賞など受賞歴多数。「地球をセーリング」(加山雄三)ほか作詞。美術関係の記事を企業のPR誌や雑誌に執筆するほか、大学やカルチャー・センターで年間50回を超える美術講演をこなす。近著として『東京の名画散歩~印象派と琳派がわかれば絵画がわかる』(舵社)。美術と建築のメルマガ「岩佐倫太郎ニューズレター」は、多くのファンをもつ。ブログは「iwasarintaro diary」。

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