2024年11月24日( 日 )

「第4回『サロン幸福亭ぐるり』講演会」(後)

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大さんのシニアリポート第79回

 桜井政成(立命館大学政策科学部教授)さんの講演の後、第2部として私と桜井教授との対談に入る。テーマは「今、地域で起きていること」。拙著『親を棄てる子どもたち~新しい「姨捨山」のかたちを求めて~』(平凡社新書)で書いた私の住む地域(+私の関係する周辺)で起きたいくつかの「棄老事件」を報告し、それへの対処法を検討した。

 2005年夏、私が住む公営の集合住宅で2件の孤独死があった。自治会の役員として自治会長に対策を進言した。しかし会長の、「役所と坊主の問題」と歯牙にもかけない態度に義憤を覚え、集合住宅での孤独死の実情をリポートしたのが、『団地が死んでいく』(2008年平凡社新書)である。打ち上げの酒席で、担当編集長から「評論家然としてないで、地域にサロンを立ちあげたら」といわれ、「やりましょう」と即断。酒席での決断から4カ月後、公営住宅の集会場を借りて始めたのが「幸福亭」(「ぐるり」の前の呼称)であった。

 しかし、公営住宅に住む多くの住民にとって、「幸福亭」の存在は、はなはだ目障りだったようだ。配布し終えた広報紙『結通信』(『ぐるりのこと』の前身名)を、各家庭のポストから引っ張り出して廃棄。開亭を示す2本の幟の盗難。当時の代表の玄関扉(鉄製)に灯油をかけられ放火(未遂)。私やスタッフに対する誹謗・中傷など…、嫌がらせが多発(多分に嫉妬や劣等意識によるものと推測)し、このままでは安全な運営に支障を来す恐れがあると判断して、2013年暮れに現在の場所(URの空き店舗)に移した。

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 2016年から社会福祉協議会のCSW(コミュニティソーシャルワーカー)と組み、福祉全般の相談に対応する「よろず相談所」を開設した。すると、地域に潜在化していたさまざまな問題(ネグレクト、共依存、虐待、孤独死、ギャンブル依存症、何事に対しても無関心を装う住民…)が顕在化した。とくに、親を棄てる「棄老事件」(介護放棄、生活援助の拒否…)が多発していたことが判明。実施している「子ども食堂」などにみられた「親と子の希薄な関係」、それらから派生する「家族の崩壊」を報告したのが、拙著である。

 大家族制の崩壊や「家の宗教」といわれる儒教の喪失などの諸原因はこの際省く。問題は「棄てられた親」の今後である。公演後に実施したアンケート(回答総数55)のうち、「あなたは子どもに棄てられている(かもしれない)という実感がありますか」という設問に、「ある」と回答した人が4人、「分からない」が9人もいたのには衝撃を受けた。4人に1人が不安を感じているのだ。

 私は「棄老」からの回避策として、高齢者同士が住む「コーポラティブハウス」や「シェアハウス」を例として紹介した。桜井教授のブログ(2011年9月)に、「江戸時代以降の伝説のいくつかについては、高齢者が一軒家に集住し、互いに助け合いながら生活し、そして死を迎えたという。すなわち今でいう『セルフヘルプ活動』『コーポラティブハウス』がすでに近世のムラ社会には存在していた可能性が高いのである」と柳田國男の『遠野物語』に出てくる「デンデラ野」を引き合いにして紹介した。私はそれに触発され、拙著の結論に用いたのだ。

 ところが教授への拙著献本後のブログ(2019年2月)に、「それらは地縁、血縁とは異なる、選択縁といった言い方をされ、理想的に語られがちです。しかし実際には、コーポラティブハウスやシェアハウスでは、さまざまなトラブルが起きていたり、一緒に住む、一緒に生活をするとなると、どんなに当初は気の合う同士でといっても…(齟齬が生まれる)」と以前の「解決方法の模索」に自ら異論を唱えた。「姥捨て山である『デンデラ野』は、『やむにやまれず』結果として集住していたことに留意が必要です。そこでは相互扶助とともに、『相互受苦』も前提とした、地に足をつけて覚悟をもった生活が行われていたはずです」と一部修正された。

 話は認知症をカミングアウトした香川涼子(仮名)さんに移る。彼女のカミングアウトを教授は高く評価した。「香川さんってなんて強い女性なんだろう。1人で生きていくしなやかさ、したたかさを身につけた女性なのか」「自分に自信のない人は、ヘルプすら出せません。『助けを求める』には、自分は助けてもらえるだけの価値が(他人にとって)ある、という自己認識が必要で、自分の存在など他人には『路傍の石』みたいなものだろうと思っている人間にはかなり(ハードルの)高い行動なのではないでしょうか」「要は、助けられる覚悟が必要なのです」。

 「棄老事件」の救済当事者(中井夫妻・仮名)を、「他人である私がなぜ世話しなくてはならないのか」という疑問(今も消えない)に教授は、「助けることは、結局献身、自己犠牲がともなう。困ったときにはお互い様といいますが、コミュニティで綿々と続く生活の場面場面においては、助けることはやはり一方的な行為になります」といい、アンパンマンにたとえ、「アンパンマンは顔を与えて、徐々に削られていきますが、アンパンマンではない私たちでも、顔ではない何かがすり減っていくことを実感することがあります」という。確かに、中井夫妻に対する「無償の行為」は、最後に「施設入所」という最良の結末を迎えても、私のなかに「得体の知れない浮遊する澱」のような違和感を今でも覚える。

 マルセル・モース(仏・社会学者)は『贈与論』に、「コミュニティ社会の『贈り物』の総量は一定で、かつ、皆がその『互酬性のルール』(贈り物を贈られたら、贈り返さなければならない)を理解していることが前提となります」とある。教授は「助ける資源をもっていなかったり、そもそも人から助けられたら恩を返すという規範がなければ、結局、コミュニティは不均等なものにならざるを得ないのです」「コミュニティでの、ボランティアなどインフォーマルな助け合いは、選択縁でたやすくできるものではない。長続きさせるには、根気と覚悟が必要になってくると思います。『助ける』『助けられる』覚悟が必要なのです。しかし、それでも理想を語ることをあきらめてはいけない」と結んだ。

 高齢者用のコーポラティブハウスが「棄老」の決め手(最終手段)にならないとすれば、いったい何をもって「棄てられた親たち救済」の鍵となり得るのだろう。崩壊した家族とその子どもたちは、親の施設への入所こそが「免罪符」だと勘違いする。国の画期的な施策であるはずの介護保険(至れり尽くせりの公的な救済策)が、逆に「親子の分断」を助長させることへの危惧につながることは否めない。一方で、「最後まで家で親を看る」ことによって、両者とも疲弊し、「介護殺人」という悲劇を生む土壌も存在する。結局、今は介護保険とうまくつきあう(利用する)という方法しか見当たらない。

 教授に高齢者用の「コーポラティブハウス」は婉曲に否定されたが、その発端となった遠野の「デンデラ野」が私の頭から去らない。

 「60歳になれば誰(ムラの長)でも村を出て、1つ屋根の下で共同生活をする。昼は野に降りて農作業の手伝いをし、夜になれば『上がりの家』と呼ばれる茅葺き小屋で寝る」という掟。教授のいう、「『デンデラ野』は、『やむにやまれず』結果として集住していたことに留意が必要。相互扶助とともに、『相互受苦』も前提とした、地に足をつけて覚悟をもった生活…」という前提を柔軟に受け入れ、運営する「ぐるり」を「デンデラ野」として機能させることが最良の方策といえるのだろう。

 しかし、「デンデラ野」の極端な食糧不足の時代と、飽食の現代を単純に比較しながら、そのなかに「相互受苦」や「生活者の覚悟」を問うことにはいささか無理がある。どうやら「ぐるり」を一方的に地域の拠点とする考え方には、再考の余地がありそうだ。なにより周囲の住人に、「見守る、見守られる」という「覚悟」がいまだ芽生えていないのだから。

(この項了)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

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