グループ再編進行中 セメント事業と教育が肝(前)
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飯塚市の密着企業と目される麻生グループだが、事業再編と広域化も着実に行っている。不採算事業は清算、規模を縮小するなどしているほか、単体で売上高が落ちているセメント事業は商社を強化して販売力で補う。近年、買収した企業のなかでは、官公庁に関連した書籍を扱う(株)ぎょうせいと特殊土木大手の日特建設(株)など、確かな強みをもつ企業が並ぶ。麻生塾でも産業界と協調を取り、福岡での存在感は増す一方だ。
麻生は飯塚にのみで貢献?
今の麻生グループをどう見るか。地域財閥としての与える影響力も強い飯塚市では、スーパーマーケットなど流通事業も担う麻生グループを「地域の雇用先をつくることで貢献している」と見る向きが強い。事実、同グループの従業員数は2019年3月末で1万4,029人と影響力が見て取れる。
戦後、相次いだ鉱山の閉山が産炭地に深刻な影響を与えたことはよく知られている。各地で人口の急減が相次ぎ、政府は血税を投入して振興を図った。諸地域の経済は、その後、農業振興にシフトしたところが多かったが、鉱害問題などで土地の回復に時間がかかったため、人口維持は困難を極めた。飯塚もまた人口は最盛期の約20万人からは減っているが、北海道の有名な産炭地・三笠市は最盛期で6万人を超えていた人口が現在は1万人を割り込んでいる。
では、飯塚市の雇用に実数通り、多大な影響をおよぼすのか―と簡単にいうこともできない。なぜなら、同グループには現在、情報システム事業や麻生商事(株)のように福岡市内に本社を置くグループ企業が存在するほか、人材派遣や行き来のしやすさから人員の流動性は高くなっている。必ずしも飯塚市の約12万人の人口とグループの従業員数は即応せず、むしろ、実際は「雇用の確保」を大義としつつ、収益はM&Aやセグメント同士のシナジーで拡大し、採算を取るのが同グループの現状だ。
かつての事業も不採算なら縮小
創業者・麻生太吉の孫にして中興の祖と謳われる麻生太賀吉は、戦前から現在の生コンクリート事業の基礎となる石灰産地の収集を行っただけでなく、戦後まもなく石炭事業の撤退を決断するなど撤退と先手に長けた人物として伝わっている。その「撤退戦」のノウハウは今も息づいているのか、19年4月末日で、かつての主業を思い起こさせる麻生鉱山(株)が清算、事業は(株)麻生マイニングが引き継いだ。
麻生鉱山は75年7月に設立、セメント原料の砕石事業を中核として始まったものの、93年には産業廃棄物の処理事業にも注力していた。しかし、17年3月に自社所有の施設で処理するとしながら産廃物の排出元に無断で同業他社に再委託していたことが発覚、30日間の業務停止処分を受け、18年3月期決算では累積損失8,318万円を計上していた。
麻生商事がいかすセメント事業
中核に位置付けられているセメント事業だが、麻生セメント(株)単体で見れば売上高の減少は止まっていない。売上高は16年12月期の161億8,353万円から年々微減が続き、18年12月期には150億519万円まで低下。12年3月に仏セメント事業のラファージュ社との合弁が実質的に解消され、海外に打って出て「グローバル企業」になる道は立ち消えた。同事業の維持に貢献するのは麻生商事のような国内向けセメント販売の力添えといっても過言ではない。
麻生商事は建築資材の専門商社とするが、その主軸は生コンやセメントの販売。09年にレジン(樹脂)コンクリートの製造販売を行っていたグループ企業の(株)アソウレジコンを吸収合併し、コンクリート・セメントの販売力とグループ内の効率化を図ってきた。福岡市内の再開発が活発に行われている状況も手伝って、18年3月期売上高は423億5,016万円を計上。8期連続の増収となっている。
(つづく)
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