HIS、ユニゾHDの敵対的買収に発展~それぞれが抱える表に出せない裏事情(中)
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ユニゾHDの小崎社長は「みずほのラスプーチン」と呼ばれた人物
ユニゾHDの小崎哲資社長は、知る人ぞ知るメガバンク業界の有名人だ。東大法学部を卒業し、旧日本興業銀行に入行。故西村正雄・興銀頭取の信を得て、1999年の富士銀行、第一勧業銀行の3行統合の際に、旧興銀側の実務責任者として統合を推進した人物だ。
統合会社みずほHDが、2兆円以上の公的資金に対する配当の原資が枯渇する事態に直面した際、みずほHDの親会社としてみずほフィナンシャルグループ(FG)を設立、持株会社を重ねるという「二重持株会社」方式を考案した。
2003年には不良債権の増大で自己資本比率が8%割れ寸前になり、一時国有化の危機に直面したみずほFGを取引先3500社を引受先とする1兆円増資で救った最大の功労者だ。
2度にわたる離れ業で、みずほを窮地から脱出させた手腕を買われ、2004年、小崎氏は取締役に就任。みずほFGの最高実力者となった前田晃伸(旧・富士銀出身)FG会長の懐刀として辣腕を振るった。
「オレは“I(旧・興銀)派”じやない、“M(前田)派”だ」と豪語し、その権勢ぶりから「みずほのラスプーチン」の異名が付いた。ロシア帝国末期に、「影の皇帝」と呼ばれた怪僧ラスプーチンになぞらえたものだ。
2009年、みずほFGは新経営体制が発足した。持株会社みずほFGと、傘下の銀行、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の3トップは一斉に交代。そのシナリオを描いたとされる小崎氏はFG副社長に就任。次期FG社長に王手をかけた。
だが、事態は暗転する。会長に退いたとはいえ、3トップは実権を手離さなかった。みずほグループは経営トップが6人もいる肥大した組織となった。金融庁は「トップが6人もいては誰が意思決定権者かわからない」と圧力をかけた。
2010年6月、旧3行を率いてきた前田晃伸氏ら3会長は辞任に追い込まれた。同時に、権勢を誇ってきた小崎哲資副社長も退任、旧興銀系のビル賃貸業、常和ホールディングス(現・ユニゾHD)社長に転出した。「ラスプーチンの粛清」として当時、大きな話題になった。
みずほは、小崎氏と興銀に76年同期入行の佐藤康博氏が、金融庁と組んで“ワンみずほ”、つまり「興銀一強体制」を築くことになる。
ユニゾHDは「脱みずほ」に舵を切る
みずほを追放された小崎氏は、「脱みずほ」に舵を切る。小崎氏の得意技はみずほ救済で辣腕を振るった増資策だ。ユニゾHDは18年5月までに過去5年で4回の公募増資を実施。みずほグループの持ち株比率を薄めてきた。
公募増資の結果、外国人の比率は19年3月期末で17.2%と、14年3月末の8.9%からほぼ2倍。個人投資家は同期間に9.2%から28.2%と3倍となった。「脱みずほを進める小崎氏に、みずほが立腹している」という不仲ぶりが外部に漏れ伝わってきた。
HISは株主構成の変化に着目した。外国人投資家や個人投資家は、相次ぐ公募増資で株価が低迷していることに不満が強い。条件次第では、TOBに応じる。TOB価格に56%のプレミアムをつけた。ユニゾHDの小崎社長と仲違いしているみずほが動かないという読みもあった。
しかし、みずほ系の不動産会社を、みすみすHISに渡すわけにはいかない。
株式市場では、「同じみずほ系の日鉄興和不動産やヒューリックなどをホワイトナイトに仕立て、対抗TOBを仕掛けてくるのでは」といった観測が流れている。
HISの澤田会長の野望を封じ込めるのと同時に、みずほに牙を剥く、ユニゾHDの小崎社長も追い落す「串刺し作戦」である。希代の策士である小崎氏が黙って引き下がるとは思えない。どんな奇策に出るか。今後の見どころだ。
(つづく)
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