母校の学びを心に刻み日々歩む~受け継がれる『ヒガシ』の理念(3)
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(学)東福岡学園 理事長 德野 光博 氏
(株)冨士機 代表取締役 藤田 以和彦 氏(東福岡高等学校5期生)
福岡ロジテム(株) 代表取締役社長 小林 専司 氏(同12期生)
(医)勢成会井口野間病院、(医)周友会徳山病院
(一財)高雄病院 副理事長 岡田 勢聿 氏(同21期生)――岡田副理事長は、藤田社長、小林社長の時代とは1世代後になります。当時、どのような高校生活でしたか。
岡田勢聿氏(以下、岡田) 德野理事長のお言葉の通り、德野常道先生が掲げられた教育理念は、現在も脳裏に焼きつき、体に染み付いております。東福岡に在校中、日々「努力にまさる天才なし」と説かれていた德野常道先生の眼鏡の奥の優しい眼差しを思い出します。
当時はその意味すら理解できておりませんでしたが、今振り返ると德野常道先生自ら教育理念を体現されていたのです。その教育理念の大切さを、卒業後に理解できた次第です。
また、先生方が我々生徒に対して、血の通った本物の教育を実践されていたと実感しますが、それは、先生方が我々を認めてくれていたからです。たとえ「おい!岡田!!」と怒鳴られたとしても、「はい!」と喜んで返事するというように慕っていたのです。お互いの気脈が通じていると申しますか、本当に人間味に溢れる先生方ばかりでした。
森義男先生、三宅和朗先生、篠田益郎先生…個性豊かな先生のお名前が思い出されます。私は東福岡の先生が大好きでした。好きであることと同時に「こんな男になりたい」と憧れる魅力的な先生が多かったです。
生徒・親、そして教員が一体となる
――冒頭お話がありましたが、当時、德野常道先生は自ら大学院で学びながら校長として教育現場の先頭に立っておられました。その德野常道先生の在り方・生き様が、先生や生徒さんに浸透していったのですね。
德野 德野常道は前述させていただいた通り、昼間そして夜間にも学校を開いていました。自らも学び続けることで実践し体現したことを、高等学校創立時、教育理念として掲げたのです。教職員に対して、(1)教科研究の推進、 (2)正課授業の充実、(3)課外授業の体系化、 (4)授業管理の徹底、(5)適正な進路指導の『教務五原則』を掲げて、その実践を求めました。教職員もそれに良く応えてくれていました。
――「一番年長の先輩」である藤田社長、これまでのお話を踏まえて、改めて東福岡の魅力についてお聞かせください。
藤田 私の時代は、冒頭述べた通り、木造2階建てで真っ黒な校舎でした。在校中は柔道部に所属し、九州大学の前の米一丸という地区の公民館や東署を練習場とし、そこに出向いて稽古をしておりました。出稽古から学校に戻ると体育館で、卓球部など各部が一所懸命練習に励んでおりました。一学年上には元衆議院議員の故・楢崎欣弥さんなど、後に各分野で活躍する個性豊かな方々がおられ、また、その後もあらゆる人材が徐々に現れましたが、まだまだ発展途上という感もありました。
私は、福岡大学を受験しました。当時の担任の先生に、「お前の成績では絶対に受からん。ほかの大学を受けろ」と言われましたが、「福岡大学以外は嫌です」と私も意地を見せ、努力して何とか合格しました。その報告に職員室を訪問すると、先生はとても喜んでくださいました。当時の光景を今も思い出します。どのような困難でも最後は理解し、精一杯応援してくださるという、生徒のことを尊重し支えてくださる先生方の姿勢が今に至るまで受け継がれていることは大変嬉しいです。これが『ヒガシ』の大きな魅力です。
そして現在、全国的に少なくなってきた男子校ですが、我が母校には永遠に男子校であっていただきたい。この伝統ある校風は、これからも同じであって欲しいです。母校は我々の時代よりも学校関係者や後輩OBの頑張り、そして現役生徒の努力のおかげで、飛躍的に進化した高等学校になっています。今日では堂々と胸を張り誇りをもって東福岡OBであるといえます。
德野 学園の前身である福岡米語義塾や九州貿易専門学校は創立時から数年の間は、“間借り校舎生活”でした。初めて校舎を建てたのは、53(昭和28)年3月に完成した九州貿易専門学校の箱崎校舎です。その校舎を、高等学校も引き継いで使いました。体育祭は、九州大学グラウンドや平和台陸上競技場などで開催していました。
64(昭和39)年に現在地に校舎を移転したときに初めて、自前の運動場で体育祭ができたことが大きな喜びであったと思い出します。また専門学校時代や高校の箱崎時代、藤田社長の5期生の時代は教員に九州大学の大学院生も多く、若いエネルギーで熱心に教鞭をとっていました。その後、これらの方々は、各方面で優秀な人材としてご活躍されたとうかがっています。
――貴学園が現在地に校舎を移転した64(昭和39)年が、経営の分岐点となったのでしょうか。
德野 確かにその通りです。前回の東京オリンピックの年です。45(昭和20)年の創立以来の間借り生活から箱崎校舎の新設、高等学校の開校と時を経ながら、教職員と生徒が一丸となって学園を地道につくり上げてきたことが一番です。創立以来の、教育理念に沿った地道な教育活動の軌跡によって、信用を積み上げ東比恵の校舎買収につながったのです。
(つづく)
【文・構成:河原 清明】<COMPANY INFORMATION>
(学)東福岡学園
東福岡高等学校
理事長:德野 光博
学校長:松原 功
所在地:福岡市博多区東比恵2-24-1
URL:http://www.higashifukuoka.ed.jp<プロフィール>
德野 光博(とくの・みつひろ)
1953年福岡県生まれ。県立修猷館高等学校卒業。早稲田大学社会科学部卒業、福岡大学大学院法学研究科前期課程修了。78年4月に東福岡学園 東福岡高等学校入職。2002年4月より学園理事長。17年11月藍綬褒章。趣味はスポーツなどの試合観戦。<プロフィール>
藤田 以和彦(ふじた・いわひこ)
1943年、福岡県生まれ。東福岡高等学校5期生。福岡大学中退、実父経営の鉄工所に入社。69年9月に事業を継承。72年9月に(株)富士機鉄工(現・(株)冨士機)を設立し、代表取締役に就任。グループ会社の(株)セントラル商工の代表を兼務。趣味は登山。<プロフィール>
小林 専司(こばやし・せんじ)
東福岡高等学校12期生。中央大学卒。2005年10月福岡ロジテム(株)を設立、代表取締役社長就任。会社経営とともに、ボランティア活動にも精力的に参加。福岡県中小企業経営者協会(連)会長。<プロフィール>
岡田 勢聿(おかだ・せいいち)
1960年福岡市生まれ。東福岡高等学校21期生。福岡大学商学部卒業。麻生商事(株)入社。退職後、専門学校川崎リハビリテーション学院作業療法科入学。卒業後、社会医療法人財団 白十字会で作業療法部主任を歴任後退職し、発達障害児施設知徳学園を福岡市で開設し園長を務める。その後、NPO法人理事長を経て、現在は(医)勢成会井口野間病院、(医)周友会徳山病院、(一社)高雄病院の副理事長を務める。また、九州大学医学部第一内科教室でリエゾン精神医学を専門習得生として研究中。【母校の学びを心に刻み日々歩む~受け継がれる『ヒガシ』の理念】の記事一覧
・母校の学びを心に刻み日々歩む~受け継がれる『ヒガシ』の理念(5)(2019年10月09日)
・母校の学びを心に刻み日々歩む~受け継がれる『ヒガシ』の理念(4)(2019年10月08日)
・母校の学びを心に刻み日々歩む~受け継がれる『ヒガシ』の理念(3)(2019年10月07日)
・母校の学びを心に刻み日々歩む~受け継がれる『ヒガシ』の理念(2)(2019年10月04日)
・母校の学びを心に刻み日々歩む~受け継がれる『ヒガシ』の理念(1)(2019年10月03日)関連キーワード
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