2024年11月23日( 土 )

【2020年 年頭所感】傷つき、沈没寸前の「地球丸」 社会貢献事業で人類の危機を救おう(2)

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(株)データ・マックス 代表取締役社長 児玉 直

■宮崎県が未来予測のモデル

 「どうして日本人は子どもをつくらなくなったのか」の問いに対して、「地球の暗い未来に直面して種の保存のために子どもを産まなくなったであろう」という珍説すら開陳されるようになった。

 ここでは地方崩壊の実例として、宮崎県の人口減についてその惨状に触れるとする。宮崎県の人口推移を眺めれば一目瞭然だ。この未来予想図はどの県も同じである。

 まずは2009(平成21)年の人口113万2,025人から、2018(平成30)年は107万9,727人と、5万2,298人減少した。この減少数は毎年増大していくであろう。おそらく2025年には宮崎県の人口は100万人割れとなるはずだ。宮崎に帰るたびに思い知らされているが、どこの小学校、中学校でも驚くほど生徒数が少なくなっている。地方においては、すでに人口減が目に見えて実感できるまでに進行しているのだ。

 宮崎市内はまだまし、といえるだろう。宮崎県内を見渡せば、地域崩壊の予測も可能になる。最も懸念されるのは山間部の集落が消滅することだ。たとえば、県の北西部にある椎葉村を例に挙げよう。2018(平成30)年の椎葉村の人口は2,627人で、一方で村の面積は537.29km2もあり、広大な村のほとんどの面積(96%)を山林が占めている。福岡市の面積が341.70km2であることと比較すれば、椎葉村は福岡市の約1.6倍の面積であるにもかかわらず、人口は福岡市のわずか500分の1しかいないのである。崩壊する集落も現れ出した。県西部の西米良村などは村の存立が難しいところまで追い込まれている。

■亡国奴の高級官僚たちの傍若無人ぶり

 戦争に明け暮れてきた世界が一転して、80年近く平和を持続させたことは人類の進歩なのかもしれない(もちろん、その間も地域紛争は絶えなかったが)。日本は約80年間、平和ボケを謳歌してきた。誤解を恐れずにいえば、この平和ボケが人類の能力を退化させてはいないか。イノベーション意欲の劣化、リスクからの逃避、無責任の横行、責任転嫁、自立心が薄れて他人頼み、「個人ファーストの風潮」……など、負の遺産が積み上がってきているように思えてならない。

 平和ボケが人間の能力を劣化させた、その典型は「安倍(晋三)・黒田(東彦)」のコンビだろう。首相と日銀総裁というこの2人は、およそ8年間にわたって日本の経済戦略を担ってきた。

 「物価2%アップのためには超金融緩和を貫徹することが必要」と信じ込んだ黒田総裁は、先頭に立って緩和策の旗を振ってきた。気づいてみたら国の借金である国債の発行残高は約900兆円、地方債の発行残高は約200兆円、国と地方を合わせるとその総額は約1,100兆円、さらに国債や借入金を合計した「国の借金」は2019年3月末時点で1,103兆3,543億円にまで膨れ上がっている。これらの数字は、国の所得=GDPの約2倍にあたる。ところが現実の実質成長率は1%を超えることができない。

 つまり日本は、借金を増大させて金を回しても景気が良いという実感を国民に与えられず、国民の所得増も達成できない低迷状態にあるということだ。悪いことに、社会的弱者からも容易に税金を徴収できる消費税増税を強行した。政府はさらなる消費増税を狙っているとみられ、これで雰囲気が明るくなるわけがない。

 銀行は来春から預金保管料を導入することが噂されるほど経営環境が悪くなっている。黒田総裁が長期にわたってゼロ金利政策を続けているため、銀行の収益環境がマイナスに転落しているのだ。金融機関の淘汰が加速化して合併や統合が進むだろう。銀行員の数も現在の40%は減るという悲観論が強まっている始末で、「安倍首相・黒田総裁は銀行を潰した最悪コンビ」と後世に語られるのは確定した。

(つづく)

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