【連載】コミュニティの自律経営(57)~ドラッカーと私
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元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
連載の第1回はこちら。ドラッカーとの出会い
僕は決して模範的な「ドラッカリアン」ではなかった。どちらかといえば、なまくら「ドラッカリアン」だったろう。所蔵するドラッカー本の数だけは人後に落ちず、本棚3段でも収まらないくらいだが、実践がともなわなかった。しかし、それでもドラッカーは僕の人生に大切な補助線を与え続けてくれた。ことに、僕の職業人生は非営利組織で一貫していたので、ドラッカー5つの質問は、いつも道標だった。何かに取り組むとき、道に迷ったとき、(1)我々の使命は何か、(2)我々の顧客は誰か、(3)顧客にとっての価値は何か、(4)我々の成果は何か、(5)我々の計画は何か、これほどたしかな問いはなかった。
僕のドラッカー来歴とドラッカー思想への思いは、以下の拙稿につきると思われるので、ここに紹介しておきたい。
≪SUNドラ合宿に参加して~ドラッカーと私≫
『多田ゼミ同人誌・研究紀要』vol.18(2019)平成31年(2019)2月2/3日、平成最後のランタンフェスティバルを目前にした長崎のまちで開催されたSUNドラ合宿に参加した(SUNドラ合宿とは、ドラッカー学会理事の鬼塚裕司氏が導師を務める、イキドラ(長崎&壱岐ドラッカー読書会)、アサドラ(麻生ドラッカー読書会)、ヤクドラ(ドラッカー読書会in薬院)読書会の3読書会が相まみえる合宿形式のドラッカー読書会である)。
4回目を迎える今回の合宿は、一橋大学の多田治教授、ドラッカー学会理事の井坂康志氏を特別ゲストにお迎えして実施された。課題図書が井坂康志著『P・F・ドラッカー マネジメント思想の源流と展望』とされたことから、SUNドラ合宿は図らずも、私のなかのドラッカーと向き合うこととなった。
遡れば、私のドラッカーとの出会いは平成5年(1993)刊の『ポスト資本主義社会』であった。もはや時効だろうから告白すれば、当時福岡市職員であった私は、市議会のある会派の代表質問の草稿執筆を依頼され、質問冒頭に時代認識を下敷きにしようとまちの本屋を訪ね、当時のベストセラーの中から選んだのが、『ポスト資本主義社会』だった。冒頭の「西洋の歴史では、数百年に一度、際だった転換が行われる……世界は、「歴史の境界」を越える。そして、社会は数十年をかけて、次の新しい時代のために身繕いをする。世界を変え、価値観を変える。社会構造を変え、政治構造を変える。技術や芸術を変え、機関を変える」という書き出しの鮮烈な時代認識に圧倒され、この部分はそのまま質問に引用した。そこで私は、P・F・ドラッカーをアメリカの「経営学者」であり、「社会学者」であると紹介していた。
次の明確な記憶は、平成11年(1999)である。当時福岡市役所で取り組んだDNA運動(=市役所版TQM運動)で使用したMOVE シート(M=mission、O=outcome、V=value、E=effectiveness)である。このシートは民間セクターの方々で構成した福岡市経営管理委員会の提案で採用したのだが、これはまさにドラッカーの「5つの質問」を下敷きにしたものであり、実務を通して改めてドラッカーの知見に触れることとなり、私のドラッカー「学」の核心の書『非営利組織の経営』との出会いにつながっていった。
そして次は、平成18年(2006)、のちにドラッカー読書会を始めるきっかけとなった時津薫氏との出会いである。たまたま何か調べ物をしていて見つけた「ドラッカー学会」のHPの中に、福岡県在住とある時津薫氏の投稿「私のなかのドラッカー」「……NHKの特集番組「断絶の時代」を観て本屋に走り、『断絶の時代』を読んで、50歳の今までドラッカーを知らなかった自らの不明に膝をたたいた(私の記憶に基づく)……」とのくだりを読んで、是非この人と会ってみたいと思い、その年の11月に早稲田大学で開催された「第一回ドラッカー学会」での初対面で、読書会を始めたいとの時津さんの志に触れることとなったのである。
おそらく翌年の春頃から、福岡でのドラッカー読書会が始まったと記憶する。福岡市役所の会議室を使ってのものだったので、メンバーは当初は市職員が多かったが、入れ替わり立ち替わりだった。それから5年ほど続けることになるが、平成21年(2009)末の『もしドラ』の出版を機に急に参加者が増えたことが強く記憶に残っている。当時の読書会に参加していたのが、今やドラッカー学会の中心人物であり、各地でのドラッカー読書会を仕掛け、導師(=ファシリテーター)としても八面六臂の活躍をしている鬼塚裕司氏である。わずか2時間程度の読書会に、わざわざ長崎から、時に泊まりがけで参加していたエネルギーは今も衰えを知らない。「実践するドラッカー」を地で行く快男児である。
その後、しばしドラッカー読書会は中断していたが、今度はその鬼塚裕司氏を導師に迎え、平成28 年(2016)にヤクドラ読書会をスタートし、今日に至っている。これがおおよその私のドラッカー来歴である。
さて、そのような来歴のドラッカーは私にとって何者なのだろうか?世上いわれる「経営学の父」は如何にも半端すぎる。ドラッカー本人が自称していた「社会生態学者」にはなるほどと思わせられるし、「マネジメントの父」にも異論はない。しかし、どこかしっくりこない。
私にとって、ドラッカーはとことん「人と社会」の関係を考え抜いた人であり、『企業とは何か』で示された、企業は社会の機関であり、組織は人に役割と位置づけを与えるためのものであるとの指摘は心に深く突き刺さり続けてきた。そして、あたかも今回のSUNドラ合宿の課題図書は、ドラッカーの生前最後の対談者である井坂康志氏の大著『P・F・ドラッカー マネジメント思想の源流と展望』であった。その帯で、先年残念ながら逝去された上田惇生氏は「新しい思想家ドラッカーの本質を根底から突き詰めようとしている。読者は、彼の知られざる迫力、凄まじさを思い知らされることになるだろう」とのメッセージを残し、同じく野中郁次郎氏の「今まで明らかでなかったドラッカーのヨーロッパ期に焦点をあてることで、マネジメント形成史の一端が鋭く浮かび上がってくる」とのメッセージが添えられている。
思想家ドラッカーの本質とは何か?明らかでなかったヨーロッパ期とは何か?ドラッカーのヨーロッパ期の著作『経済人の終わり』『産業人の未来』は、世上多くが政治学者のものであるとの見立てであり、私自身ドラッカー思想に深く政治学的知見が根ざしていることを痛感してきた。更には、かつて山脇直司著『公共哲学とは何か』に触れ、東京大学での最終講義を拝聴し、「個人を活かしつつ公共性を開花させる新しい思考への要請が公共哲学に託されている。「活私開公」個々人の「自己」理解が「他者」への理解、ひいては「公共世界」観への形成へと結びつくような人間観を提示している」とのメッセージに強い共感を憶え、ドラッカー思想に通じるものを直感的に受け止めていた。
そして今回のSUNドラ合宿の課題図書『P・F・ドラッカー マネジメント思想の源流と展望』「終章ドラッカーの基本的視座」274pに、ついに滾々と湧き出る源流を発見した。
「次なる社会においては……最大の関心は、社会の理念を保持する実存としての個の可能性をいかに展開していくかにある。というのも、個のマネジメントは、自律的な諸個人が自らの判断と責任に基づく新しい社会関係の構築と創造が目指されている。ドラッカーの表現に倣うならば、個の強みが公共の善となる点を必然的に要請する社会たらざるを得ない」まさに、膝を打つ思いであり、ドラッカーは「公共哲学者」でもあると一人悦に入ってる次第である。こんなところが、「それぞれのドラッカー」の真髄なのかも知れない。勿論、共感をいただければそれに越したことはないのであるが。
また、井坂康志氏は、『P・F・ドラッカー マネジメント思想の源流と展望』「終章ドラッカーの基本的視座」271pで「ドラッカーによる基本認識の枠組みは、個のマネジメントにこそ結晶している」と述べ、「自律的な個を、自由にして機能する社会を包含する新文明のためのかけがえのないプレーヤーと見た」と述べている。そして、そのようなドラッカーの「金山」をして、「一面において、一元主義への反抗を強力に包蔵しながらも、他面で極端な経済至上主義のなかで脅威を覚えざるを得ない現代社会のただ中にあって、片隅の合理を見失うことなく、多様でささやかな存在を知の中心に復権する足がかりともなり得る」としている。故上田惇生氏の言う、井坂康志氏の「知られざる迫力と、凄まじさ」の合間に顔を覗かせた氏のしなやかな人間愛に心からのエールを送りたい。
ドラッカー読書会ほど愉しいものはない。「それぞれのドラッカー」とよくいわれるが、ドラッカー読書会をやると、それぞれが引いたアンダーラインの箇所はそれぞれであり、同じ箇所でも読み方や受け取り方が違うことが日常茶飯事。まさにそれぞれのドラッカーである。さらに、同じ読み手であっても、それぞれの時点や立場でも読み方は異なる。そして、その互いの違いの披瀝は、何よりのフィードバックともなる。それはまさに「ジョハリの窓」の様相を呈してくる。それぞれの読み方の披瀝による自己開示が「秘密の窓」を開き、フィードバックにより「盲点の窓」が開かれることによって「開放の窓」が広がり、気づきという「未知の窓」が開いていくのである。そして、そのことが更にドラッカー思想の学びの面白さにつながり、ドラッカー思想の森の奥深くに誘い込まれていくのである。
今後ともドラッカー読書会を軸にした「ドラッカリアン」たらんことを宣言して、この稿を閉じることとする。
(つづく)
<著者プロフィール>
吉村慎一(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
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