【書評】有森隆著『創業家一族』を読む~かつて日本の創業者は起業家精神が旺盛だった!(後)
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永らく日本はベンチャー不毛の地と言われてきた。インターネットの勃興に合わせて、米国ではGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)が、中国にはBAT(バイドゥ、アリハバ、テンセント)が台頭したが、日本ではこれらに匹敵するIT企業は誕生しなかった。しかし、かつてはそうではなかった。
苛酷な戦争体験
本書が取り上げている起業家は、ハングリー精神が起業の原動力となっている。戦後スタートした起業家は、戦争体験と焼け野原が人生と事業の原点だ。
大和ハウス工業の創業者の石橋信夫氏をつくったのは、軍隊とシベリアでの3年間の抑留体験である。満州黒竜江省・孫呉で雪中演習中、22歳の陸軍中尉だった石橋氏の背中に速射砲を載せた1tのソリが乗り上げた。腰から下は完全にマヒした。このときの傷がもとで、石橋氏はずっと足を引きずることになる。
石橋氏の所属していた聯隊にグアム島への出撃命令が下された。グアム島守備隊は壮絶な戦いの末、ことごとく戦死した。戦後、シベリアの奥地で抑留。想像を絶する拷問にも耐えて帰国。その苛酷な体験から「瞬間、瞬間を悔いなく生きる」と心に決め、人並み外れた意思と行動力で事業に取り組んだ。
ワコール創業者の塚本幸一氏が敗戦を迎えたのは激戦の地、ビルマ(現・ミャンマー)。8カ月間、タイの収容所にいて復員した。55人の部隊のうち、生き残ったのはわずか3人だった。『私の履歴書』(日本経済新聞社刊)にこう書いた。
〈1946年6月15日、私は戦地から、たまたま生かされて日本に戻ることになりました。その時に考えたのは、これはお預かりモノの人生だな、と。だから、与えられた命のほかに、何かやってやろうと思ったのです〉
戦地からの奇跡的な生還が、戦後の行動の原点になったと塚本氏は語っている。
焼け野原からの出発
戦後、流通革命をもたらしたスーパーの先達たちは焼野原が原点だ。
イオン(旧・ジャスコ)の創業者、岡田卓也氏は早稲田大学在学中に召集され、茨城県の鹿島灘で米軍の上陸に備えた迎撃訓練に明け暮れた。迎撃訓練といっても武器はなく、竹ヤリでの訓練だったという。
終戦後、岡田氏は新宿の闇市で、多くの露天商が軒を並べて売っているのを見て、早く故郷の三重県四日市市に帰って、呉服店を再興しなければと思った。帰郷後、空襲で焼け落ちた店をバラックで再建。岡田家の面々は京都まで自転車で出掛けて商品を仕入れてきた。米軍から払い下げを受けたベッドの上に戸板を置いて、そこに商品を並べて営業を再開した。
イトーヨーカ堂の創業者、伊藤雅俊氏は、横浜市立横浜商業専門学校(現・横浜市立大学)を繰り上げ卒業し、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に就職と同時に応召。すぐに敗戦を迎えた。東京・千住で、母親・ゆきさんと異父兄・譲氏がやっていた洋品店・羊華堂は東京大空襲で焼失していた。伊藤雅俊氏は、家業を手伝うことにした。21歳のときである。3坪ほどの店で、戸板一枚で猿股を売ることから始めた。
雅俊氏は、母親に商人の躾を仕込まれた。母は「お客は来てくださらないもの。取引先は売ってくださらないもの。銀行は金を貸してくださらないもの。それが商売の基本だ」と教えた。雅俊氏にとって、母は商人の鑑であり、商人道の師であった。
信用を担保するものはカネやモノではなく、人間としての誠実さに尽きるということを知った。伊藤氏は誠実さに欠ける人間を嫌った。
「計算できない人はダメだが、計算ばかりしている者もダメ。自分の損得をするような人間にろくな奴はいない」と、常々語っていたという。
若者よ「見るまえに跳べ」
古来、逆境が人を育てると言われてきた。大成した人物は、貧困や大病などの逆境に負けない強い心をもつ。起業家は、根性が強い、度胸が据わっている。これは逆境が育んだハングリー精神の賜物だ。
皮肉にも、日本は豊かな社会になり、ハングリー精神が衰えた。大相撲で、ハングリー精神旺盛なモンゴル勢が土俵を席巻しているのと同じ現象が、経済界でも起きている。
日本には、起業家精神が旺盛な創業者がいた。多くの企業は創業者の親族が出資し、ファミリー企業として始まる。やがて規模が大きくなり、業務が拡大していくと、ファミリーだけではマネジメントすることが難しくなる。創業者精神が影をひそめ、すべて組織でしか動かなくなる。
本書が取り上げた有名企業のほとんどが脱同族経営をはたしている。創業者の起業家精神は社史の1頁に飾られる社訓であることが実情だ。
創業者が血の継承にこだわり、晩節を汚す例は少なくないが、彼らは骨太だった。企業をつくり、日本をつくってきた起業家精神の持ち主に触発されて、若者にチャレンジせよ、と本書は投げかけている。贈る言葉は、大江健三郎氏の初期の作品のタイトルがふさわしい。
「見るまえに跳べ」
(了)
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