【株主総会血風録3】駅探~筆頭株主が全役員をクビ!経営陣が戦わずして白旗を掲げたワケは?(中)
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東証マザーズ上場で、乗り換え案内のサービスを手がける(株)駅探は、筆頭株主である(株)CEホールデイングス(HD)(病院向け電子カルテ大手、東証一部上場)から全取締役を解任し、新役員を求める株主提案を突き付けられた。プロキシーファイト(委任状争奪戦)に発展かと思われたが、6月29日の定時株主総会を前に、会社側は取締役選任議案を取り下げた。会社側は白旗を掲げ、城を明け渡したのである。なぜか!?
株主提案の4人は東芝出身者
CEHDが発表した株主提案は、駅探の現経営陣をすべて解任し、CEHDの取締役2人、駅探の管理職3人、社外取締役2人の計取締役7人を取締役候補とする内容だ。
「中村氏に衝撃を与えたのは、CEHDが提案する取締役のなかに駅探の社員が3人いたことだった。そのなかには東芝時代に乗り換え案内システムを開発した者もいた。さらに、これとは別にCEHDが社長候補と考えている取締役候補者も東芝出身で、中村氏と一緒に仕事もしていた時期もある。気心の知れた人物だ」(前出の「東洋経済オンライン」)
CEHDが取締役候補に提案した駅探の管理職は、奥津浩一氏(49)、小柳智晃氏(42)、亀本圭志氏(41)の3人。奥津氏は東芝時代に駅前探検倶楽部「乗り換え案内」のシステムを開発したエンジニア。発明者として旅程検索システムなど7件の特許をもつ。駅探の技術部門のリーダーである。
社長候補の金田直之氏も東芝出身。14年6月、駅探の中村太郎社長により招聘され、CEHDとの合弁企業である(株)Mocosukuの執行役員に就任、17年6月代表取締役社長に昇格した。Mocosukuは、医療情報・ヘルスケア情報のインターネットを利用した情報提供サービス会社だ。
金田氏は日立金属(株)、日本オラクル(株)、イーストマンコダックアジアパシフィック、アジアネット代表取締役を経て、2001年6月に(株)東芝に入社。東芝では中村太郎氏と同じ釜の飯を食った仲だ。
金田氏は東芝から出向(のち転籍)して、全国紙、専門紙と提携して企業向けにニュース配信サービス(株)を行うニューズウォッチ代表取締役社長に就く。続けてグルメ・イベント情報などを配信するオンライン書店である(株)ザクラ(現・東京カレンダー(株))の代表取締役社長に就任した。だ。
インターネット情報サービス一筋で歩んできた金田氏を、東芝時代の仲間である駅探の中村氏がCEHDの合弁事業のトップに招いた。
その金田氏が、CEHDの株主提案の社長候補に名を連ねた。中村氏が受けた衝撃は計り知れないものがある。駅探はもともと東芝の社内ベンチャーだった
駅探はもともと東芝の一部門だった。インターネットビジネスの黎明期の1997年4月、東芝が社内ベンチャーの駅前探検倶楽部を開設。山手線内のJR東日本・地下鉄の全駅140程を対象に、インターネット上で時刻表連動の乗り換え検索サービスを開始したことに始まる。
2000年には(株)NTTドコモのiモード向けサイトを立ち上げて成長を続けた。03年1月、東芝より分社化して、(株)駅前探検倶楽部を設立。サービス名称が「駅探」。分社化の際の30人ほどの社員はすべて東芝からの出向者だ。
転機は2006年。東芝は米原子炉メーカーのウエスチングハウスを6,000億円で買収した。その資金をつくる必要があり、関連会社の売却を進める。
その使命を帯びたのが、東芝のネットワークサービス&コンテンツ事業部企画・業務担当グループ長・中村太郎氏。東芝より出向し、06年10月駅前探検倶楽部の代表取締役社長に就任。そして、同月、経営陣が投資ファンドのポラリス・プリンシパル・ファイナンス(現・ポラリス・キャピタル・グループ)と共同でMBO(経営陣が参加する買収)を実施。東芝が保有している株式を買い取って、東芝から独立した。
中村氏は07年11月東芝より転籍。08年4月、社名を(株)駅探に変更した。(つづく)
【森村 和男】
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