2024年11月24日( 日 )

元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(14)ブラジル・リオデジャネイロ、サンパウロ総領事の平野文夫氏

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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏

平野文夫総領事夫妻との交流~趣味の絵がきっかけとなる

 6カ月後、ブラジル・リオデジャネイロで有名なイパネマ海岸近くの山の手にある見晴らしの良いマンションに、ホテルから引っ越した。ポルトガル語の家庭教師が紹介してくれたマンションで、彼女に手伝ってもらって家具を準備した。1975年5月に妻と娘がリオデジャネイロに到着し、本格的な駐在員生活が始まった。

 まず、リオデジャネイロ総領事・平野文夫氏の公邸に、家族であいさつにうかがった。平野夫人は趣味で絵を描いていた。筆者の妻も美大で絵を勉強しており、筆者も絵が好きで描いていたことや、大学時代にルネッサンス絵画史を芸大の増井善郎先生に習っていたことで、平野夫人と話が合い、急に親しくなった。

 総領事夫妻には、リオデジャネイロとお互いの転勤先になるサンパウロでも親しくお世話になった。平野総領事が、ウルグアイ、スーダン大使を歴任して日本に帰国した後も、お互いの家が近いこともあり、親しくお付き合いをさせていただいた。大使亡き後も、リオデジャネイロ駐在してから今日まで45年間、平野夫人とはお付き合いをさせていただいている。

21世紀の「未来の大国」、ブラジル経済研究会を発足

 当時のリオデジャネイロの総領事館には、大学時代の同窓生でポルトガル語専攻の書記官の大野氏、通産省から出向していたJETRO(日本貿易振興機構)所長の鈴木氏ほか、アジア経済研究所長兼日本経済新聞社特派員の小坂氏、朝日新聞社南米支局長の菊地氏、元フジテレビジョン・ディレクターの太地氏、金属鉱業事業団代表の田所氏、東京銀行代表の橋本氏などそうそうたる方々が集まっていた。

 そこで筆者は、平野総領事に顧問、伊藤忠商事の稲田所長に会長を依頼して、月に1回、有志が集まって「ブラジル経済研究会」を開くことを提案した。皆が賛同してくれ、コパカバーナの中国料理店を会場にして第1回目を開催し、のちにリオデジャネイロ・ボタフォゴにある元フジテレビの大地氏が経営している日本料理店で開催した。研究会が終わると、皆でリオのクラブに集い、お酒を飲みながら親睦を深めた。

ブラジル経済研究会。右から3人目が中川氏

 21世紀の「未来の大国」であるブラジル経済をテーマにしたブラジル経済研究会は、こうして始まった。この研究会を開催したことで、リオデジャネイロ駐在員はそれぞれ、お互いに勉強や情報交換を行い、さらに親睦も深めた。この人脈は日本帰国後も続き、友情はさらに深まった。今から45年前に発足したブラジル経済研究会が、のちに1992年に創設する「日本ビジネスインテリジェンス協会」(BIS)の前身である。

 リオデジャネイロは、有名なゼツリオ・バルガス財団ブラジル経済研究所がある都市で、新進気鋭で若手のシモンセン大蔵大臣や日系の植木エネルギー大臣なども、リオデジャネイロをよく訪れていた。

日本ビジネスインテリジェンス協会設立へ

 筆者は77年7月に、リオデジャネイロからニチメン・サンパウロ本店に転勤になった。一足先にサンパウロに転勤していた平野総領事を顧問に迎え、サンパウロに赴任してからもブラジル経済研究会を続けた。サンパウロには三和銀行や富士銀行、住友銀行などの金融機関や、三菱重工などの有力メーカーも多数進出しており、研究会はさらに大規模になった。

 日本に帰国後、92年2月に東京で立ち上げた日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)には、平野元大使を顧問に、朝日新聞社・元南米支局長の菊池氏を理事として、ブラジルやカナダ、米国ニューヨークでお世話になった人々にご協力いただいた。このように筆者の一生は、20年以上の海外駐在でご縁ができて、お世話になった人脈が大きなウエイトを占めている。

(つづく)


<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)

 鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)

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