地銀の経営統合~「待ったなし」を検証する (前)
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【表1】を見ていただきたい。バブル崩壊を経営統合で生き抜いた都銀の推移表である。
~この表から見えるもの~
◆バブルは1986年12月(昭和61年)から91年2月(平成3年)まで51カ月間続いたが、加速したのは元号が平成に改元されてから2年余りで、いわゆる「平成バブル」といわれる所以である。
◆91年3月から景気の低迷が顕著となり、以後、金融界にとって平成の30年間は、バブル崩壊が直撃。不良債権の処理に追われ、蓄えた体力を使いはたした時代であった。
◆この間、多くの金融機関が破綻。21行あった大手金融機関は再編につぐ再編を経て、メガバンク3行(東京三菱UFJ銀行・三井住友銀行・みずほ銀行)に集約された。
◆2001(平成13年) 年4月、住友銀行とさくら銀行の経営統合を主導したのは西川善文住友銀行頭取で、三井住友銀行の初代頭取に就任。実態は、住友銀行によるさくら銀行の救済だったという。
西川氏は奈良県出身。大阪大法学部を卒業後、1961(昭和36)年4月に住友銀行入行。融資第三部長や常務企画部長として安宅産業(株)の破綻処理やイトマン事件の収拾で実績を挙げ、97(平成9)年に58歳の若さで頭取就任。 2002(平成14)年から三井住友フィナンシャルグループ(FG)の社長を兼務したが、業績悪化の責任を取り、05(平成17)年にFG社長と銀行頭取を退任した。【表2】を見ていただきたい。経営破綻した大手銀行・長期信用銀行・新たな形態の銀行である。
~この表から見えるもの~
◆大手銀行の北海道拓殖銀行は1900(明治33)年2月、北海道拓殖銀行法に基づく特殊銀行として発足。独自の営業を展開していたことから経営破綻に追い込まれた。同様に長期信用銀行、日本債券信用銀行も特殊銀行であり、都銀からの救済を受けることはできなかった。
◆新たな形態の銀行として日本振興銀行は設立されたが、わずか7年余りで破綻している。リーマン・ショック(2008年)後の銀行の破綻は日本振興銀行だけとなっている。<まとめ>
西川氏は自著『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』で「住友銀行の恥」と打ち明けたのは、経営トップも関与した「イトマン事件」だった。取引先の経営破綻処理の手腕で「不良債権と寝た男」と称されたほか、どんな相手にも物おじしない強烈な個性から「ラストバンカー」とも呼ばれた。波乱万丈の人生を送った西川氏だったが、先週の9月11日、死去したことを関係者が明らかにした。82歳だった。
(つづく)
【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】
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