2024年12月24日( 火 )

朝鮮戦争―日本の民主主義の変節、自由主義の崩壊の原点!(4)

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 第38回「世界友愛フォーラム」が9月24日、「鳩山会館」(東京都文京区)において開催された。(一財)東アジア共同体研究所理事・所長(元外務省国際情報局長)の孫崎享氏(『朝鮮戦争の正体』著者)が「朝鮮戦争―なぜ起こったか、日本政治への影響―」と題して講演を行った。
 70年前の朝鮮戦争の正体を今になって振り返ってみると、私たちが直面している「憲法の形骸化」「民主主義の変節」「自由主義の崩壊」「軍事大国に邁進するアメリカ」「アメリカに隷属する日本」という複雑に絡み合った糸がまるで嘘のように解きほぐされる。

本論:論点3.「日本は朝鮮戦争に軍事的参加をしたか」

「集団的自衛権」よるアメリカの要請に酷似

孫崎 享氏

 日本は戦後、1946年11月3日に新憲法を公布、47年5月3日に施行しました。この憲法はさまざまな要素を含んでいますが、大きな柱は「(1)国権の最高機関を国会とする、(2)国民はすべての基本的人権の享有を妨げられない、(3)戦争を放棄し「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」の3つです。

 冷戦の深化によって、米国は日本を極東の拠点として、戦争を行いうる国にしようとします。そのために、かつて戦争に導いた人々を、政界、官界、報道の分野で徐々に復権させ、人権擁護などを強力に推し進めようとする人々を排斥し始めました。この時点で対共産党や労働組合の弾圧は起こっていますが、国会は国権の最高機関であり、露骨な人権無視は行われておらず、日本が戦争に進む可能性もありませんでした。しかし、朝鮮戦争の勃発とともに、この3つが崩壊していくのです。

 日本人の多くは、日本は軍事的に朝鮮戦争と無関係だと考えていますが、日本は立派に「公的に」参戦しています。具体的には釜山橋頭堡の防衛、仁川上陸作戦という朝鮮戦争の動向を左右する局面で、広い意味での軍事協力をしています。参戦方法はいくつかありますが、いずれも今日の日本が「集団的自衛権」としてアメリカに要請されているもの、たとえば「イランにおける機雷除去」などと酷似しています。

釜山橋頭堡の防衛、仁川上陸作戦で軍事協力

 北朝鮮が50年6月25日、38度線を越えて攻め入りました。米軍は部隊を緊急で派遣しますが、どんどん押し込まれます。その最終局面で釜山近辺に釜山橋頭堡を建設しました。ここが陥落すれば、朝鮮半島は北朝鮮が支配するという状況が生まれていたかもしれません。船員、武器弾薬などを緊急に輸送する必要があり、これに日本の船舶が使われます。船員は当然日本人です。戦争では、兵隊、武器などの輸送は極めて重要な役割を担います。

 マッカーサー氏が誇った仁川上陸作戦でも、日本人は戦車・兵士を運んだ戦車揚陸艦(LST)に従事しています。さらに、北朝鮮側は海に機雷を敷設していますが、この機雷の除去に日本の海上保安庁が直接関与しています。当時の吉田茂首相は、大久保武雄海上保安庁長官に活動を極秘にするように命じています。その活動の詳細は日本では長く知られていませんでしたが、朝鮮戦争下の掃海作業は明確な戦闘行為です。

死者も出ており、朝日新聞は77年に22人の死者について報道「極秘、27年目に明かす。元神奈川県の職員、米軍艦船乗り込みの22人、元山沖付近で触雷沈没」しています。NHKスペシャルは2019年2月3日の放送で「朝鮮戦争秘録‐知られざる権力者の攻防」として「日本人2,000人軍事作戦従事」を報道しました。

本論:論点4.「米国『レッドパージ』の目的」

朝鮮戦争の報道を完全に一元化、多様な視点を排除

 日本は朝鮮戦争に明確に軍事参加していましたが、国内でなぜ騒ぎが起こらなかったのでしょうか。その理由は、朝鮮戦争の報道を完全に一元化し、多様な視点や多元的な情報による報道が起こらないようにする、すさまじいまでの「レッドパージ」が行われたためです。それは、1950年7月末の「共産党員およびその同調者を排除せよ」とのマッカーサー氏の書簡に端を発していました。

日経新聞は50年7月29日付で、「報道界の赤色分子解雇」の見出しで、各報道機関の解雇者数(朝日新聞社72人、毎日新聞社49人、読売新聞社34人、日本経済新聞社10人、東京新聞社8人、日本放送協会(NHK)104人、時事通信社16人、共同通信社33人)を載せており、驚くべき数字です。以降、「自由主義」の要である報道の自由が失われていきました。

今年はいくつかの新聞社で「朝鮮戦争70年」の企画がありましたが、レッドパージで「自分たちの仲間(社員)を解雇した」点に触れているもの(回顧しているもの)はありませんでした。現在に至るもこの点は依然として闇のなかにあります。

「この異例の弾圧事件は、東西の冷戦下、次第に反動化しつつあった対日占領政策が朝鮮戦争の勃発を契機として一挙に本格化し、戦争反対、対米批判の動きを一切抑圧しようとした緊急措置であったということができる」

『1950年7月28日―朝日新聞社のレッドパージ証言録』(晩聲社、1981年)より

(つづく)

【金木 亮憲】


<INFORMATION>

(一財) 東アジア共同体研究所
 東アジア共同体研究所は、鳩山友紀夫内閣時代に国家目標の柱の1つに掲げられた「東アジア共同体の創造」を目的とするシンクタンク。2013年3月15日に発足。理事長・鳩山友紀夫(第93代内閣総理大臣)の下、理事・所長の孫崎享氏(元外務省国際情報局長)、理事の橋本大二郎氏(元高知県知事)、理事の高野孟氏(ジャーナリスト)、理事の茂木健一郎氏(脳科学者)を中心に、プロジェクト形式で研究活動を行っている。


世界友愛フォーラム
 アジア共同体研究所の事業の一環として、東アジアのみならず、広く世界の平和と共生を「友愛」の理念に基づいて推進していくための自由な議論や交流の場。これまでに、「東アジア共同体構想」や「東アジアの安全保障」「東アジアと沖縄」をテーマに勉強会やシンポジウムを開催、参加者は講師との意見交換など活発に議論を交わし、「世界の平和と共生」への理解を深めている。

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