元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(28)商社一番乗り~ニカラグアで革命勃発
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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏
革命直後のニカラグアに乗り込む
筆者がパナマ出張中の1979年7月19日に、中米ニカラグアで革命が勃発。親米ソモサ政権をサンディニスタ民族解放戦線が打倒した。筆者はかつてバグダッド駐在中にイラク革命に遭遇した経験から、革命後は物流が滞り、ビジネスチャンスがあることを認識していた。ソモサ政権と関係が深かった米国は経済制裁を検討しつつあった。
ニチメンパナマ店は繊維品や鉄鋼製品のビジネスでニカラグアとの関係が深かったため、筆者は、この機会にニカラグアの首都マナグアに最初に乗り込んで、ビジネス開拓をすべきだとYパナマ所長に進言した。Y所長は革命ただ中のマナグア出張を逡巡したが、パナマ運河鉄道案件に協力している代理店のビジネスチャンスになると力説したところ、同行するという。
ニチメン(株)本社業務本部にニカラグア出張を申請したところ、判断は現地に任せるが、革命直後は不測の事態が起こる可能性があるため、安全に万全を期して出張するよう指示を受けた。
革命軍司令官のオルテガ大佐に面談
航空便の便数は革命直後で少なかったが、パナマ所長、現地代理店の関係者、筆者の3人でマナグア空港になんとか乗り込んだ。乗客はほとんど現地人で、日本人はY所長と筆者のみであった。
革命軍が掌握しているマナグア空港の入国審査は想像以上に厳しかった。我々は日本の商社マンで、革命後のニカラグアへの物資援助のために即座に訪れたと力説し、ようやく入国を許可された。身体検査と持ちものの検閲も厳重であった。
サンディニスタ革命軍とソモサ政府軍との革命戦直後であったため、空港からホテルに向かうときに通ったマナグア市街地の道路には至るところに生々しい銃撃の跡があり、道路脇の家は焼きただれていて、一部にはいまだに煙が立ち上っている場所もあった。
ホテルに到着すると厳しい身体検査があり、エレベーターから部屋まで向かうときも革命軍の兵隊が銃を突きつけて監視しながら付き添った。これらの革命軍兵士にはうら若き女性兵士が多く、驚いた。
筆者らは翌日の早朝、革命軍司令官オルテガ大佐に面談した。オルテガ大佐は革命直後、日本商社がもっとも早くニカラグアを訪れたことに感謝し、古い鉄道の修復と空港の整備、ニカラグアの地熱発電所建設への協力を要請した。
オルテガ大佐との面談を終え、パナマへと帰路についたが、革命直後でもありパナマへの飛行機が飛んでおらず、マナグアで3日間、待機した。しかし、パナマへの飛行機の運行が再開する見込みがなく、パナマへの帰還のメドが立たなくなったため、やむなく、オルテガ大佐に軍用機の提供を直訴した。
大佐からは「ソモサ大統領専用機を取り押さえてある。サンディニスタ革命軍への協力にもっとも早く訪れた日本商社マンにこの専用機を提供する」という言葉とともに特別の配慮をいただいた。
筆者はこのようにして、大統領専用機に搭乗する貴重な機会に恵まれた。豪華なソファーの座席に乗り、大統領気分で優雅な飛行を楽しんだ。驚いたことに機内のトイレは金製であった。
レーガン政権は81年にニカラグアへの経済制裁を発令。オルテガ大佐はニカラグア大統領に就任。その後、米国CIAのニカラグア・反革命軍への武器供与不祥事件が発生した。
<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)
鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)関連キーワード
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