2024年11月22日( 金 )

『脊振の自然に魅せられて』晩秋の雷山―井原山―三瀬峠縦走(後)

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 雷山の山頂を目指して登山道を歩いていると、携帯電話の呼び出し音が鳴った。早良区役所からの感謝状交付式の連絡だった。「ここは携帯がつながるのか」と驚き、区役所の担当者に「今、山にきています」と伝えた。M氏は、話しながら山を登る筆者を見て「きつくないの」と驚いていたが、コロナ禍により自宅にいる時間が増えて、空いた時間にゴム球で尻の筋肉を鍛えることができたおかげで、山歩きが楽になっていたのだ。

 15分ほど歩くと、雷山山頂(955m)に着いた。山頂から景色を見渡すと、「はがね山標準電波送信所」の塔が空に高くそびえていた。この羽金山(900m)の電波送信所は、福島県の「おおたかどや山電波送信所」と合わせて日本に2本しかない日本標準時間の電波送信所である。脊振山系は、脊振山に航空自衛隊のレーダー基地という日本の重要な施設がある。

 天気予報の通り、雷山山頂は風が強かった。広々とした山頂の角の芝生にザックを下ろし、非常食用ポーチから「大人の粉ミルク」をコップに入れて、保温ポットから湯を注いだ。気温が低く寒かったが、暖かい飲み物が白い湯気を立てていた。「大人の粉ミルク」は骨密度を上げる粉末の栄養剤であり、最近は高齢者の間で人気商品となっている。筆者はつぶあん餅を食べながら、暖かいミルクを飲んだ。

 山では、休憩ごとのエネルギー補給が欠かせない。筆者は、ペットボトルに入れた「柿の種」を、暖かいお茶を楽しんでいたM氏に差し出した。「柿の種」は餅米でできており、非常食にもっともふさわしい。一息ついたところで、山頂の大岩の前にある道標の横にM氏と並んで、記念写真を撮った。

 ここからは、井原山(983m)への縦走路が続く。井原山に向かって進むと、一帯には、小ぶりのブナの林が左右に広がっていた。脊振山系は、標高900mあたりにブナがたくさんある。4月に、脊振山や金山周辺のブナ林の調査をしたことが思い出された。ブナ林の登山道を急ぎ、雷山源流のポイントを確認しながら、静かな山の雰囲気を楽しんだ。

 雷山源流は毎年、ニリンソウの群落の鑑賞を楽しみに訪れる谷だ。雷山遊歩道への分かれ道、ショウジョウバカマの群生地などを確認しながら歩き続けると、風が強くなり、筆者の帽子が飛ばされそうになった。筆者は風が強いことを予想してアノラック(防寒用のフード付ジャケット)を着ていたが、M氏はジャケットを着ておらず山着のままである。筆者が「寒くありませんか」と声をかけると、「寒くない」との返事だった。M氏は寒さに強い人だ、と感心した。

 整備されたばかりのミヤコザサの登山道を歩くのは、快適であった。960mのピークを過ぎて井原山に近づいた。あと少し歩くと、糸島市の瑞梅寺山小屋から洗い谷を上り詰めた地点にたどりつく。洗い谷は9月13日に滑落死亡事故があったばかりのため、上り詰めた場所にはロープが張られ、「侵入禁止」の警告表示がなされていた。

 この事故の遭難者はN新聞社の山の季刊誌の編集長(57歳)である。険しい沢ぞいのコースであるが、ヘルメットを着用せず1人で谷に入ったという油断により、残念な結果となった。

 井原山山頂から、360度の展望が楽しめた。博多湾から東側に脊振山、金山、佐賀方面では天山や歩いてきた雷山の山並みが見渡せた。寒さを感じて道標に付いていた温度計を見ると、マイナス4度であった。

井原山(983m)より脊振山(中央奥)
井原山(983m)より脊振山(中央奥)
井原山より福岡市街地、博多湾
井原山より福岡市街地、博多湾

 風を避けて山頂直下の窪地に入り、もう1枚のダウンジャケットを着て昼食をとった。M氏は、赤いアノラックを羽織った。筆者も、ダウンジャケットの下は赤いアノラックを着ている。歳を取ると赤いウェアが元気をくれる上に、赤いウェアは遠くからも見つけやすい。

 30分ほど休んで、三瀬峠へ向かった。風はますます強くなったが、ここからは下り道が厳しくなるのだ。「転ばないように」とM氏に声をかけ、ブナやアカガシの林が続く縦走路を下った。M氏は太ももに力が入らず下りに苦労していたが、幸いにして雨の後ではなく落葉が濡れてない山道だったため、滑ることはなかった。

 水無鍾乳洞に続く新村分れを過ぎ、野河内渓谷へと厳しい下り道を進んだ。やがて、不気味なほど巨大な高圧線の鉄塔が現れた。三瀬峠まで、あとわずかな道のりだ。15分ほど下ると太陽光パネルがみえてきた。さらに10分ほど歩き、標高581mの三瀬峠の国道に出た。時刻は14時30分。今日の縦走は5時間のコースであり、2万歩の登山であった。

 ここから、雷山林道を車で再び走り、雷山登山口に止めた筆者の車を取りに行った。林道では、晩秋の紅葉が沈む太陽のなかで輝いていた。晩秋の山を楽しんだ2人旅であった。

(了)

2020年12月10日
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行

(前)

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