2024年12月23日( 月 )

コロナ禍のいま、多くの市民が「哲学」に飢えている(1)

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玉川大学 文学部 名誉教授 岡本 裕一朗 氏

 新型コロナウイルスの感染拡大は止まるところを知らない。世界の感染者は6,500万人、死亡者は150万人を超えた(ジョンズホプキンズ大学12.4集計)。ワクチンや有効な治療薬の開発が遅々として進まないなか、冬場に向かって第3波の到来も予測されている。
 こうしたコロナ禍を誰もが「健康危機」と「経済危機」の視点からとらえているが、経済危機を乗り切る抜本的対策について、政治家も経済人も、まったくシナリオを描けないでいる。そんななか、岡本裕一朗・玉川大学文学部名誉教授の近刊『世界を知るための哲学的思考実験』や『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』が注目を集めている。

コロナ禍が浮き彫り「ポスト近代社会」

 ――世界的に新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。コロナ禍を俯瞰していただけますか。

岡本 裕一朗 氏
岡本 裕一朗 氏

 岡本 私の第一印象は正直なところ「来るべきものがやってきた」という思いでした。もともと近代社会というものは、ミシェル・フーコー(※1)が分析したように、ある1つの場所に多くの人が集められ、そのなかで一定の時間、一定の秩序をもって生活をする(集団規律)というのが原則になっていました。子どもであれば学校、大人であれば、工場、オフィスなどが基本的な生活基盤になっていたのです。

 しかし、20世紀末に、フランスの哲学者である、ジル・ドゥルーズ(※2)が「管理(コントロール)社会」という言葉を使い始めたとき、哲学の世界では、そのような集団・規律に基づく社会は、デジタルテクノロジーの発展によって終わりかけているのではないかと議論していました。ドゥルーズによると、フーコーが分析した「規律社会」は20世紀初頭に頂点に達し、第二次世界大戦後に壊滅の時代を迎えたとされました。そして、「規律社会にとって代わろうとしているのが管理社会に他ならない」というわけです。しかし、現実の社会では、どんなにデジタルテクノロジーが進みインターネットなどが整備されても、近代的スタイルから抜け出すことができずにいました。

 ――議論としては知っていたものが、コロナ禍で劇的に現実のものとなりました。

 岡本 今回のコロナ禍はある意味で私たちの社会生活に対して革命的ともいえる、大きな転換を求めています。すなわち、「近代社会」から「ポスト近代社会」への移行です。もし、従来のスタイルに固執するならば、学校も、会社も、いつまで経っても始まりませんし、正常に機能することはありません。

 すでに企業では、たとえば「社員の半数はリモートワークにしよう」という動きが起こっていますし、大学でも一部の少人数のゼミなどを除けば、「大教室の講義はリモートで十分ではないか」と言われ始めています。大学が、広いキャンパスや多くの建物、設備を必要としたのは近代社会の名残です。一定の場所に学生を集めて、監視しながら規律訓練を与えるという目的があったからです。

 会社(工場、オフィス)、病院、軍隊などすべて、産業革命以降の近代社会のモデルだといえます。フーコーは「近代社会」の成立を「ペスト」と関連付けて論じていますが、新しい社会「ポスト近代社会」の成立は同じ疫病の「新型コロナ」と関連付けて論じることができます。

 もちろん、すべてが一気に変わるわけではありません。ワクチンや治療薬などができてコロナ禍が収まるにつれて、昔ながらの近代が一時的に呼び戻されて来ることはあると思います。しかし重要なのは、今回のコロナ騒動で見えた「ポスト近代社会」の姿をしっかりと目に焼き付けておかなければならないということです。社会の転換は、何か「社会革命」のようなものが起こって変わって行くというイメージがありますが、歴史的に見ても疫病のような自然災害や惑星の衝突のような天変地異などがあって変わっていくものなのです。

 ――いま、『世界を知るための哲学的思考実験』(2019年12月刊)と『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』(2018年11月刊)が注目されています。まるで、コロナ禍を予測していたようなタイミングですね。

 岡本 哲学をどう理解するのかは難しい問題です。たとえば経済学、政治学、理系の学問でもそうですが、ある意味で1つの前提となるような大きな考え方があり、それにどのように適用させていくのか、それをどのように発展させていくのかを考えます。その前提となるような大きな考え方が壊れるという可能性は極めて少ないといえます。

 一方、哲学の大きな営みの1つは、「私たちが今前提にしていることを疑う」ことです。その前提が果して、現在において正しいのか、相応しいものかということを議論します。21世紀になって哲学が脚光を浴びるようになったのは、世界・日本の多くの市民が、今までの考え方やものの見方では解決できない大きな壁があることを実感されたからだと思います。現代社会において、何か根本的なものが壊れ始めています。現在の大きな考え方を前提にすれば、足しても引いても「答えそのものが見つからない」ということです。今回のコロナ禍で私たちの多くはセンセーショナルに目を覚まされました。しかし哲学の世界では、大きな時代の転換期である21世紀に入ってから常に議論されてきたことなのです。

 大きく時代が転換するときは、最初から答えが与えられているわけではありません。現在の延長線上に未来はないからです。答えのない状況で、どういう考え方、どういうものの見方ができるのか、どういう可能性が開けるのかということを、いろいろな観点から私たちは議論する必要があります。今までの常識で何かをしようとするとまったくわからなくなります。なぜなら、「社会は変わった」からです。私たちは、会社はそこに行って仕事をするものであり、学校はそこに行って勉強するものであると考えていました。しかし、今はそのスタイルそのものが疑われ始めています。

(つづく)

【金木 亮憲】

※1:ミシェル・フーコー(1926~1984)フランスの哲学者。構造主義の一翼を担う哲学者。  ^
※2:ジル・ドゥルーズ(1925~1995)フランスの哲学者。ポスト構造主義の時代を代表する哲学者。  ^


<PROFILE>
岡本 裕一朗
(おかもと・ゆういちろう)
1954年福岡県生まれ。玉川大学文学部名誉教授。九州大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。九州大学文学部助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが、興味関心は幅広く哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書として『フランス現代思想史』(中公新書)、『思考実験―世界と哲学をつなぐ75問』、『12歳からの現代思想』(以上、ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ネオ・プラグマティズムとは何か』、『ヘーゲルと現代思想の臨界』、『ポストモダンの思想的根拠』、『異議あり!生命・環境倫理学』(以上、ナカニシヤ出版)、『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)、『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』(早川書房)、『世界を知るための哲学的思考実験』(朝日新聞出版)など多数。

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