『脊振の自然に魅せられて』大雪の金山登山(後)
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縦走路を金山へと進む
ようやくピークにつくと、時刻は午後1時を過ぎていた。非常食を急いで食べてエネルギーを補給する。筆者はコップに入れた即席ぜんざいに保温ポットの湯をそそぎ、亀田の柿の種を頬張り、コンデンスミルクを飲んだ。先輩Tはホットコーヒーで体を温め、後輩 Hにもコーヒーをすすめていた。
休憩をとった後、歩き出した。ここから右折すると普段なら10分で道標 NO.13の縦走路に出るが、雪山で少し時間がかかり、縦走路に出たのは午後1時20分であった。ここでも記録用の記念写真を撮る。「今来た道を戻るか、金山へ進むか」と考えたが、所要時間はどちらも同じだと判断した。先輩T は「金山へ行くか」と言い、縦走路を金山へと進んだ。普段であれば金山山頂までの所要時間は1時間である。
誰も歩いてない深雪の上で足を進める。先頭は先輩T、次に後輩Hが続き、筆者は後方から写真を撮るため、少し遅れて歩いた。風が少し出てきたのでヤッケの風よけを被った。雪で覆われた登山道はルートが不明のところもあり、時々立ち止まってはルートを確認する。
アップダウンの続く雪の縦走路を黙々と進む。先に行く2人が雪景色のなかで薄く見える幻想的な光景でもあった。このような歩みを繰り返しながら、金山(標高967m)が展望できる地点にきた。金山が見えたので、安心感も出てきた。
少し歩くと、やがてたくさんのブナの大木がある場所にきた。雪をたくさん被ったブナが静かにたたずんでいて、風もなく静寂のみが漂っている。筆者は幾度となくカメラのシャッターを押した。
途中でトイレを済ませたが、寒いなかで雨具のファスナーを上げるにも時間がかかる。
ようやく歩ける態勢になり、少し寒さを覚えたのでフリースのフードを頭から被った。時間を要したため、先を歩いていた後輩Hが「池田さーん」と心配して声をかけてくれた。ようやく金山の肩にやってきた。あと少しだ、と思いながら、雪の中で先を歩いていた2人の足跡に自分の足を入れる、こんな作業をあと何度続ければ金山の頂上に着くのだろう。
ようやく、金山の番所跡の表示板のある場所に着いた。ここは縦走路と三瀬峠の分岐ともなる場所だ。あと1kmという表示板を通りすぎてから到着するまで1時間もかかった。金山の番所跡から3分歩いて、ようやく金山山頂に着くと、先に着いた2人が待っていて手を振っていた。
積雪は30㎝と、5年前より少なく、三角点の石標の頭が出ていた。急いでエネルギーを補給して3人の記念写真を撮り、登山口に向けて下山を開始した。時刻はすでに午後3時を過ぎていた。日没は午後5時20分である。
凍てついた急勾配の登山道を下ると、時折、足元が不安定になる。登山口まであと20分の道標 NO.25レスキューポイント地点まで来たので、ここで小休止した。筆者のザックのポケットにチョコレートが3個残っていたので、先輩Tと後輩Hに1個ずつ手渡す。わずかなチョコレートであるが、気分転換とエネルギー補給にもなる。
植林された杉林を20分ほど下って登山口へと戻った。時間は午後5時ちょうどで、日没寸前である。筆者はスマホで家内に連絡をしたら、「飛行機モードになっていますので、解除してください」とメッセージが出た。ガラケーからスマホにしたばかりで、残念ながら使用方法がわからない。
家内が心配していると思い、不安を抱えながら家に着いたのは、すでに暗くなった時間であった。案の定、家内が心配して筆者や先輩 Tの携帯電話に電話していた。 先輩Tの携帯電話は電池切れで音信普通であったため、息子にも、まだ筆者が帰ってこないと連絡していた。スマホにはいまだに不慣れで泣かされている。パソコンよりも難しい。
悪戦苦闘を強いられたが、記憶に残る5年ぶりの雪山登山であった。
(了)
脊振の自然を愛する会
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