安倍・菅政府のこの1年の新型コロナ対策を振り返る(3)
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九州大学非常勤講師・フリーライター 辻部 亮子 氏
感染拡大抑止策は「国民の自助努力」
実際、民間臨調がその報告書のなかで紹介している政府関係者の言は、そのことをよく表していると思われる。周知の通り、日本政府が主軸に据えた感染拡大抑止策は「クラスター対策」、すなわち、集団感染の発生源を速やかに特定し、そこへ集中的に対策を講じることで、他の社会的領域への影響を最小限に留めながら感染拡大を防ぐというもの。
この戦略が奏功するには、それこそ隠れクラスターを把握するためにも広範囲な積極的疫学調査が必要(ウォールストリート・ジャーナルでも賞賛された「和歌山モデル」は、まさにその成功例であろう)だが、厚労省は無症状者に対するPCR検査をかたくなに拒み続けた。これについて、「専門家会議関係者の1人」は次のような「ホンネ」を語ったという(下線は筆者)。
「現実問題として、深刻な被害が生じているのは(中略)ヨーロッパ・アメリカ的価値観が浸透している国だと思う。(中略)彼らの論理構成は、ウイルスが排除できるとの考え。しかし、排除しようとしてはダメで、ある程度共存しなければならないとあきらめられた国が、ひどい状況になっていないという構図なのだろうと思う」
「ある程度共存しなければならないとあきらめる」。これすなわち「多少の犠牲者が出るもやむなし」ということであり、「1人も犠牲者を出さない」という心構えすら、政府は放棄するというに等しいではないか。「クラスター対策」に組み合わせたのが「徹底した検査」ではなく、国民に対する「行動変容要請」であり続けたこともそれをよく示している。感染拡大防止は国民1人ひとりの自助努力で何とかしてください、というわけだ。政府としては、カネもかからず責任も負わず、なんと楽チンな「政策」だろう。
1回目の緊急事態宣言の解除後、第2波の兆しがすでに現れていたにもかかわらず、感染拡大抑止とは真逆のベクトルをもつ「GoToキャンペーン」を強行した不可解も、感染拡大防止は国民の自助努力に丸投げすれば良いと政府が考えていたとすれば腑に落ちる。ちなみに、自民党の二階幹事長は(一社)全国旅行業協会の会長を長年務めている人物。同キャンペーンを受託した「ツーリズム産業共同提案体」を構成する観光関連団体から献金が行われていたことも、『週刊文春』により明らかになっている――。
思い返せば、政府や新型コロナウイルス感染症対策分科会の「専門家」が国民の日常生活に立ち入り、珍妙な「感染防止のための行動様式」を国民に開陳し始めたのも、「GoTo」がらみではなかったか。「手は水とせっけんで30秒ほど洗う」「誰とどこで会ったかをメモする」「買い物は通販や電子決済を活用」「食事は横並びで座り、料理に集中」「会議や名刺交換はオンラインで」など、日常生活の細部にわたる46の「模範行動」を示した「新しい生活様式(ニューノーマル)」は、政府が「GoToキャンペーン」始動のタイミングを模索する5月に喧伝されるようになったものである。
11月に入って感染者が急増し「GoTo」の中止が叫ばれるなか、政府が国民に示した対策といえば、同分科会の尾身茂会長自らも実演して見せた、あの滑稽な「外して、飲んで、また着けて」の「マスク会食」なるもの。11月25日に打ち出された「勝負の3週間」とは、つまるところ、「GoTo」維持のための国民の「我慢大会」に他ならなかったのだ。はたして日本は猛威を振るうコロナに蹂躙されるがままとなり、政府は結局「GoTo」中止のみならず、2度目の緊急事態宣言発令へと追い込まれた。
鳴り物入りで導入された接触確認アプリ「COCOA」が、システムの不具合ばかりでまったく機能していないことが話題になっているが、そもそも陽性者本人が保健所に処理番号発行を申請し登録しなければならない上、行政はクラスター追跡などにこれのデータを使うわけではないという。「プライバシー保護」や「行動の自由」など、政府は「人権」を錦の御旗に掲げるが、安倍・菅政府がやってきたことといえば、結局のところ、いかに国民に責任転嫁させるかということではないか。それによって生存権を脅かされるような状況に国民を陥らせたことについては、どう説明するつもりだろう。
(つづく)
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