2024年11月22日( 金 )

【凡学一生の優しい法律学】ワクチン狂騒曲(中)

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治験とは

 後述する新型コロナウイルスの「ワクチン騒ぎ」を本質的に理解するためには、日本の治験制度の理解が不可欠である。

 筆者の見解では、日本の薬事行政に君臨してきた厚生労働省と治験責任医師らがグローバル企業のファイザーに一敗地にまみれた屈辱の日が、日本でのファイザー製ワクチンの投与開始日と認識せざるを得ない。極めて「科学的に」厳格であった日本の安全性・有効性の判断基準が、赤子の手をひねるがごとく、ファイザーの世界戦略に屈服したのだ。その事情を具体的に説明しよう。

 薬は、まず安全でなければならない。しかし、いかなる動物実験で確認しても、最終的には人間に対する実験でしか、その安全性を確かめることはできない。そのため、「人体実験(治験)」を避けて通ることはできない。そのため、物性試験や動物実験では、念には念を入れて安全性を確認することが、医薬品開発に多大の年月を必要とする1つの要因である。加えて、これらの試験データは再検証ができるよう、客観的な科学的検証が可能な水準にあることが要求される。

 次に、薬は対象の疾患に対して有効であることが必要だ。有効性判断に関しては、科学的かつ論理的に解決不可能な難問が存在する。これは臨床医なら誰でも直面する薬物治療における根本的な問題である。事例を挙げて説明したい。

 ある臨床医が、「サメの軟骨を素材にした薬剤が骨粗しょう症や膝関節症の治療に効果があるという使用者の体験談を聞いていたら、安全であることが確認される限り、その薬効の薬理やメカニズムの理解を度外視して治療薬として使用することを躊躇しない」と言った。

 筆者は治験事業に関わる過程で、偽薬効果(プラセボ効果)という現象が存在することを知っていたため、ある薬剤で疾患が治癒した場合に、真の薬理効果か、もしくは偽薬効果かということを現在の科学的知見では区別できないことを理解していた。

 治験事業や薬物治療の現場においては、薬剤による治療効果が100%となることはあり得ない。筆者の理解では、何%の治療効果があれば、有効性が認められるのかについては、統計学で用いられる検定という論理体系において、実薬投与群とプラセボ投与群に統計学上の有意差が認められる場合に薬効があると判断される。通常の人(前述の臨床医もその1人)は、この薬は効くのか、効かないのかという決定論的に理解するが、実際の薬効判断では確率論的な理解が必要だ。

 たとえば、宝くじに当選するか否かを論理的に考えた場合、確率論的には簡単に当選確率を示すことができる。しかし、未来事象であるから、過去の経験から論理構成しても、当選理論を決定論的に構築することは不可能である。もちろん、少数回の購入を前提とした場合の論理構成は不可能という意味である。未来事象は、そもそも決定論的アプローチが不可能ということだ。

 薬効や薬理はメカニズムが複雑難解であり、現在の科学知見でそれらを見極めるのは未来事象の予測とほぼ同等と言わざるを得ない。「承認された」薬剤の対象疾患を持つ患者に投与した場合も、その治癒率さえ不確定ということだ。

 上記のように、薬剤の「承認基準」にはあいまいな部分が多く含まれているため、一定の薬剤については「市販後調査」という、承認後に治療現場での実績を再研究する制度が存在する。

 以上の薬剤の承認プロセスを理解すれば、今回のファイザーのワクチンが十分な検証資料の公開もなく極めて短期間に「承認」され、大多数の国民に投与されることに大きな疑問と不安を抱く。

 ある専門家が、ファイザーのワクチンは少なくとも安全ではあるようだから、有効性を期待するだけの意味はある、と発言していたが、現在の日本での実際の投与事情を見る限り、ファイザーの報告した「副反応」(※)の信ぴょう性には多くの疑問が残る。

 現在の検定理論では、何十万、何百万人と投与した場合、何名の死者が出ればワクチン投与と因果関係があると「科学的に」認定されるかは不明である。ワクチン投与後に死亡した人については、当分の間、不明死とされ、ファイザーや日本政府の責任を問うことはできないだろう。

※:治験制度では「副反応」という用語は存在しない。被験者に発現した健康被害はすべて「有害事象」とされる。二重盲検という専門用語は、実薬か偽薬かという情報を治験責任医師にも「隠す」ことから名づけられた。そこで発現した有害事象については、治験責任医師があらゆる諸般の事情を勘案して因果関係の有無を判断し、因果関係がある場合にのみ「副作用」と認定する。
 ファイザーが用いた「副反応」という用語は、おそらく「副作用」、つまり投薬との因果関係が否定できないという意味であろうが、この時点でずさんで非科学的な判断が行われている。被験者についての十分な事前および事後の健康情報の収集がないため、正確な区別診断ができなかったものと思われる。治験観察期間の概念も曖昧で、「副反応」の発現時期の特異性についても不明である。 

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