『日本弓道について』(6)筆者の弓歴(前)
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今年5月に弓道の写真集を出版した。父を師として、42歳から弓を始め、弓歴は30年を過ぎた。弓を初めた頃から30年かけて撮影してきた、名人といわれる先生、弓道大会、弓にまつわる演武や祭などを載せた写真集だ。長年、弓を続けてきた者として、弓についてつづる。
弓道場の門をたたく
42歳で父に弓の道具を譲り受け、自宅マンション前の福岡県立勤労青少年文化会館(通称:ももちパレス)の弓道場の門をたたいた。
年齢を重ねていたものの、未知の世界に知らない人ばかりで門をたたくのも緊張した。道場は通常の道場よりも狭いが、福岡市で2番目に古い。地下鉄・藤崎駅から歩いて5分の距離にあり、勤務を終えた人たちが夜間に多く練習に通っていた。
筆者は弓道場がマンション前という利便性を生かし、時間さえあれば道場に通った。巻藁と呼ぶ練習用の的に3カ月は専念した。「約2m先の巻藁に矢がまともに飛ぶだろうか」が最初の不安であった。
日中は年金生活の方が毎日練習にきていた。その方から「もうそろそろ的に向かっては」と勧められた。射位(弓を引く位置)から的まで28mある。的を立てている所を安土と呼び、砂を盛ってできている。そこに的が立っている。
安土まで矢が届くだろうかと、恐る恐る弓を引いた。矢は私の心配をよそに何とか安土まで届いた。的に最初からあたるはずがない。弓道の親睦会「勤青弓交会」に入会し、夜の練習にも通った。
初段にチャレンジ
弓を初めて半年、初段審査を受けてみてはとの誘いの言葉もあったが、今の実力では恐れ多く、あと半年練習してから審査を受けることにした。
地方審査は春と秋に行われていた。父から「俺が審査するから久留米の道場に受けに来い」と誘いを受け、久留米の道場に春の審査を受けに行った。結果は合格である。審査は5人並んで行われる(5人立ちが基本)。参加人数によって最後の方は4人や3人となることもある。
矢は的に1本あたったように記憶しているが、引き終わった後の弓倒(ゆだおし:弓を肘から体の中央に倒す)で前列の受験者の頭を弓でたたいてしまった。
弓で頭をたたいたのは過去2回ある。このときと、広島市へ転勤の折りに講習会で範士八段の大先生の頭をたたいた。弓の倒し方が悪く、遠くへ円を描くようにしていたためである。日本中で範士八段の頭をたたいたのは私くらいであろう。それでも範士の先生は腹を立てず、熱心に指導していただいた。
長い道のり
三段までは半年おきに昇段した。四段は2回失敗し、3度目に合格した。やっと合格したと舞い上がって弓友と地下鉄を下りたとき、ふと、登録料を払うのを忘れて審査会場を後にしたことに気がついた。それからが大変だった。
道場のS会長に事情を話したが、すでに審査は終了し関係者は帰宅した後だった。筆者は焦った。幸い審査受付の担当者が同じ道場の女性だった。私が登録料を払っていないのに気づき、立て替えてくれていたのであった。筆者は胸をなで下ろした。登録料の不払いはキャンセルしたとみなされ、合格が取り消しになる。
父は天才肌で何をやらせてもうまい。私は何をやらせても人の倍はかかる。五段審査は12回も不合格である。五段審査から連合審査となり、各県の先生による審査となる。だから遠方に審査を受けに行くことになる。
五段になれば次のステップ、錬士の受験資格を得る。錬士とは大学の準教授にあたり、称号者と呼ばれ先生の卵となる。錬士、教士、範士と称号者の位があり、段位は十段が最高位である。
(つづく)
福岡市区弓道連盟会員
錬士五段
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