【コロナで明暗企業(9)】紳士服はるやまHDの“骨肉の争い”~創業者・父と長女が長男の社長に「レッドカード」(中)
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新型コロナウイルス感染拡大や緊急事態宣言で一気に広がった在宅勤務。在宅のテレワーク、リモート会議が浸透し、入社式はとりやめた。テレワークの普及が紳士服業界を直撃した。自宅で働くのにスーツは必要ない。大きな転換期を迎えた紳士服業界で、前代未聞の事態が起きた。「紳士服のはるやま」を展開するはるやまホールディングスで、創業者の長女が実弟の社長に「レッドカード」(退場処分)を突き付けたのだ。
テレワーク普及でスーツ離れが進む
新型コロナ感染拡大を受けたテレワークの普及で、スーツ離れが進んだ。テレワークはパソコンに向かう装い方を変えた。上半身はそれなりにしっかりした装いだが、スーツは着ない。ビデオ画面に映らない下半身はウォーキングウェアの恰好でかまわない。ビデオ会議に映るのは上半身だけ。他人から見えないボトムは気を遣わない。コートやジャケットも買い換えない。
スーツを着てオフィスに行く流れが変わった。その影響をモロに被ったのが紳士服専門店だ。卒業式、入社式がある3月は書き入れ時だった。
はるやまホールディングス(HD)の2020年3月の既存店売上高は、前年同月比2割超の減少。昨年4月7日に発令された緊急事態宣言で、在宅勤務が一気に広がり、既存店売上高は4月が5割超、5月が4割超も激減した。緊急事態宣言が解除されても、客足は戻ってこなかった。
21年3月期の連結決算は、売上高が前期比24.4%減の382億円、営業損益が36億円の赤字(前期は3.7億円の黒字)、最終損益が48億円の赤字(同4.0億円の黒字)に転落した。在宅勤務の広がりにともなってスーツの需要が減り、紳士服の販売が落ち込んだためだ。
手をこまねいていたわけではない。ウイズコロナの新しい生活様式に対応する切り札として「テレウエア」を掲げた。テレウエアは、「きちんと見えて、楽な、テレワークに適したウエア」の造語だ。スーツやフォーマルウエアに替えて、カジュアル性の高いジャケットやパンツに並べ変えた。
その効果で、21年3月の既存店売上は前年同月比プラスに転じ、4月は前年に激減した反動から7割弱の伸びを達成した。
創業者・正次氏、岡山の小さな洋服店を大手に
岡山県は国産ジーンズの発祥の地である。今やイタリアやフランスなどヨーロッパをはじめ、世界の名だたるブランドが注目するデニムの産地となった。また、全国の学生服の8割は岡山産だ。
繊維の街、岡山県玉野市の商店街で、治山正次氏は1955年4月、小さな洋服店を創業した。夫婦共働きで切り盛りするパパママストアだ。当時、スーツは高級品だった。初任給が出るまでスーツが買えず、学生服で通勤する人が大勢いた。
「彼らに安くて良いスーツを提供できないか」。正次氏がそう考えたことから「紳士服のはるやま」の歴史が始まる。
1974年、(株)関西地区はるやまチェーンを設立。チェーン展開に乗り出した。91年、商号を「はるやま商事(株)」に変更。94年大証二部、98年東証二部に上場。2002年に東証・大証1部に指定替え。17年に持ち株会社体制へ移行し、はるやま商事をはるやまHDに商号変更。新設分割により事業会社はるやま商事(株)を新設した。
西日本を中心に郊外型スーツ専門店「はるやま」を展開。店舗数は446店。紳士服量販店業界では最大手の青山商事(株)、(株)AOKIホールディングス、(株)コナカにつぐ第4位だ。
長男・正史氏、大学時代は仕送りがなくアルバイトで生活
骨肉の争いの渦中にある治山正史氏とはどんな人物か。1964年12月、正次氏の長男として岡山県玉野市に生まれた。中高一貫校の岡山白稜中学・高校から地元の岡山大学へ進んだ。
『現代ビジネス』(2015年3月13日号)のインタビューでこう語っている。
「地元の岡山大に進学したが、東京の空気を吸いたくて、あえて立教大に入り直した。仕送りはゼロ(笑)。汚い木造四畳半のアパート暮らし、強い西日があたるから『日焼けサロンの代わりにちょうどいい』などと笑っていました。必死でアルバイトもしました。交通量調査のアルバイトでしたが、これって、意外とキツいんですよ。排ガスで胸が苦しくなり、走る車のナンバープレートを12時間も見続けると目がチカチカしてきます。日当は6,000円。お札を眺めながら『これがおカネを稼ぐということか…』と考え込んだ。すばらしい経験になりました」。
父・正次氏の紳士服チェーン展開も軌道に乗り、仕送りができないほど生活に困っているわけではなかった。大学4年間、仕送りなしとはかなり異常だ。
母は正史氏が高校生のときに亡くなった。「正史」の由来は、母の「正しく生き、歴史をつくれ」という言葉。母親については熱い思い出を語っている。仕送りなしは、最愛の母親を亡くした正史氏と、父・正次氏との確執をうかがわせる。今日の骨肉の争いにつながっているのかもしれない。
立教大学経済学部を卒業し、89年に伊藤忠商事(株)に入社。繊維部門に配属され、東南アジアでつくったものを日本へ輸出する業務を行った。ニューヨーク駐在をはじめ、東南アジアや米国でさまざまなアパレルに関する経験をした。
(つづく)
【森村 和男】
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