【倒産を追う】アイリンク・アソシエイツ破産、目移りと他者利用優先主義で行き詰った井野和弘会長(2)
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「梁山泊」の面々
井野和弘会長の青春時代における誇るべき体験のひとつが、前回述べた『梁山泊』時代だった。このメンバーたちの大半は1960年前後生まれ。日本社会が豊かになりつつある時期である。
この中核メンバーの1人が「貧困から脱却しつつある世代である」と大見得を切ったので、「いやぁ、あなたは福岡・博多育ちだから貧困とは縁がないが、大半は地方からこの博多で一旗揚げようと欲に燃えてやってきた連中ではないか!」と反論した。実際、大分県の山間部出身のメンバーは「子ども時代からひもじかった」と打ちあけている。
梁山泊メンバーの大半は高卒である。当時(1960年前後生まれ)は、たとえ学業が優秀であっても、家庭の経済的事情により進学を断念した者が多い。そうした理由もあり、彼らはハングリーで、かつ「地頭」が冴えている。メンバー内で成功した人間のなかに福岡県立水産高校出身者がいるが、彼も若いときから事業目標が高かった。記者は同校が福津市の津屋崎にあることを最近知った。
1985年で25歳、1990年で30歳に達した梁山泊メンバーたちは「次世代のニュービジネス」を議論しあい、酒を飲み、ゴルフをして、「女性口説き」で競争しあった。時には口論になったこともある。彼らが幸運だったのは「福岡が通販ビジネスにおける日本の最先端」であったことだ。ただ、そうした状況にあっても彼らにオリジナルのビジネスが組み立てられるわけがなく、先輩たちのビジネスの模倣から始まった。しかし、そんなことはどうでも良いことだ。結果オーライ、成功すれば信用が得られるというのが世の常なり。1960年前後生まれの世代で事業を起こし、抜きんでた事業経営者として君臨しているのである。
井野会長は「梁山泊時代」を自慢げに語っていた矢先に「資金づくりに奔走している」と漏らした。記者は「梁山泊時代の同志から資金調達をするという方策があるではないか」と口を挟んだ。ここで本人は口を閉ざした。
事業の成功者ほど金には厳しい。友人が泣きついてきても冷ややかな応対をするようだ。また井野会長自身にも信用がなかったのだろうか!まぁ「成功の第一人者」たちは牧歌的な青春時代に陶酔することはない。この梁山泊メンバーで、記者が一番親しかった経営者が闘病生活を余儀なくされているのは悔しい。
「息子には非はない、方策はないのか」
取材の過程で井野会長に「自己破産するのがわかっていたのであれば、息子さんの代表権を外すぐらいの手を打つのが親としての配慮ではないか!」と質問を投げかけた。すると井野会長は小声で「個人保証などがあって手を打てなかった」と囁く。なかなか聞き取れなかったが――。最後は「息子は優秀だから独り立ちできるよ」とまるで自分自身に言い聞かせるように説明してくれた。
(つづく)
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