ノン・ズーを夢みて~北九州・到津の森から(4)
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「動物を見せる時代は終わった」「これからはノン・ズーだ」――。そう公言し、少しずつ実践するのは、北九州市小倉北区の「到津の森公園」園長、岩野俊郎氏(72)。ノン・ズーとは動物園にあらず、あるいは動物園という概念にとらわれない、動物園ではない動物園……と表現するほかないが、ヨーロッパやアメリカでは主流になりつつある考え方だという。緑あふれる同公園を歩きながら、動物たちを眺めつつ、その主張に耳を傾けた。
――岩野園長は昔からノン・ズー、動物のウェルフェア(福祉)を重視する考え方だったのですか。
岩野 いや、昔は私も動物園は大きい方がいいし、動物は多い方がいい、さらに珍しい動物を時折展示して客足を伸ばしたい、そういう考え方でした。実際、前身の到津遊園の園長になってすぐに、コアラを2頭借りて展示したことがあります。入園者数は一気に普段の1.5倍に増えました。園のゲート前に列ができるのを初めて見ました。しかし、1年後には元に戻るのですよ。
そのときはコアラを1年で返したからいいのですが、もし何年も飼うなら次第にコストだけが増えてきます。珍しい動物は一時的に興味を引きますが、サスティナブル(持続的)ではなく、愛着もわきません。お客さんの数よりも、お客さんが愛着をもってくれる施設をつくることが本当は重要なのだと思います。
――動物園の園長になろうという目標はもともとあったのですか。
岩野 絶対に動物園で働きたいというのではありませんでした。動物は好きで、獣医学科を出たのですが、別に獣医になりたいわけでもありませんでした。大学の実習で到津遊園にお世話になった関係で、園に獣医がいなくなった際に「来てくれないか」という話があり、じゃあ行ってみようか、となったのです。ほんの腰かけのつもりだったのですが、みんなよくしてくれるし、やめられなくなりました。
1997年に園長になりましたが、その年の暮れに上司から「閉園することになった」と聞かされましてね。当時、毎年1億円の赤字でしたし、会社(西日本鉄道(株))が決めたことですから仕方がないですが、そのとき、上司には「簡単にはいかないかもしれませんよ」と申し上げた。到津遊園は市民に親しまれていて、そのことを私は肌で感じていましたから。
――存続運動が起きましたね。
岩野 26万人の署名が集まりました。北九州100万人の4分の1超が署名したってことですよ。これは市としてもやらないわけにはいきません。市が有償で引き継いで、私も園長を継続することになりました。しかし、経費節減で動物は半減されますから、以前と同じやり方ではいけない、頭を切り替えるほかないと思いましたね。
――具体的には、どういうやり方ですか。
岩野 存続運動でもらったメッセージは、動物と森を残してほしい、ということでした。動物と森は自然のなかでは一体化したものであるため、そういうイメージでつくっていきました。木をたくさん植えることによって四季感を出し、獣舎など見せたくないものを隠す、というようなことです。
また、獣舎の看板は業者に注文する方法ではなく、飼育員が自分で描くようにしました。図鑑に載っているようなことではなく、自分で育てている動物はこんな性格ですよ、こんなものを食べていますよ、ということを紹介します。そういう手づくり感こそが大切だと思うのです。開園から年を経て、だんだん良くなっていく、これからもっといい場所になる、そういうイメージでつくっていけば、市民が愛着をもってくれる動物園になれると思うのです。到津の森公園が今あるのは市民のおかげですし、残してよかったと思ってもらいたいのです。それが市民への恩返しだと思っています。
(つづく)
【山下 誠吾】
<プロフィール>
岩野 俊郎(いわの・としろう)
1948年、山口県下関市生まれ。日本獣医畜産大学獣医学科卒業。73年、西日本鉄道(株)入社。到津遊園の飼育員を経て97年から同園長。2000年の同園閉園後、(財)北九州市都市整備公社職員となり02年から到津の森公園の初代園長。著書に訳本の『動物園動物のウェルフェア』(養賢堂)、『戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語』(中央公論新書、小菅正夫・島泰三との共著)がある。関連記事
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