2024年11月23日( 土 )

『脊振の自然に魅せられて』脊振古道を歩く(後)

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脊振の紅葉を満喫

 進むにつれ紅葉がまぶしく映り込んでくる。杉の巨木とともに欅(けやき)の大木も現れる。脊振千坊があったことを考えると、この山道は修験道であったと筆者は思っている。

 動画を撮影しながら片方の手にカウンターを持ち、杉の巨木も数えていった。幹周り1m以上の杉が48本あった。なかには台風や自然淘汰で横たわった巨木が数本あった。撮影しながら歩いたので、県道に合流するまで1時間ほどかかった。巨木の山道で紅葉を堪能した。

 県道を横切りコンクリートの石段を登り詰め、山頂駐車場に着く。ここで一息、コーヒーとアンパンを頬張った。そして脊振山まで足を延ばした。先ほどの女性3人組が山頂から下ってきた。「先ほどはありがとう、また会いましょう」とお礼を述べた。

 平日なので山頂に訪れていた人は数人程度だった。山頂の道標をバックにスマホのセルフタイマーで写真を撮っている人がいた。声をかけると「脊振山は初めてです。東京から福岡へ転勤してきました」と言っていた。彼は脊振から見える景色をスマホで写真を撮り続けていた。撮影が終わるとしばらく佇んで、福岡の市街地を眺めていた。彼の撮影が終わり、筆者もプロフィール用の写真をカメラのセルフタイマーで撮影した。

 標識の支柱に新しい温度計が取り付けてあった。山頂は強風に晒されるので小石が飛び、温度計が壊れるのである。山頂での写真撮影を終えたので、そうそう登ってきた道を下った。

 一段落して登山口を下った。せっかくだから、下りの県道脇の登山口から200m地点にある飛行機事故のジャピー記念碑を巡った。階段を少し降りると、紅葉に囲まれた記念碑は輝いていた。

 帰りは登山道を25分歩き、車を止めた登山口へ届いた。

 栄西禅師が中国から持ち帰ってお茶の種を植えた碑にも参詣する。脊振古道の登山口からアスファルトの林道を1キロ登った場所にある。

 脊振山方面へ続く県道を車で走る。登りカーブの続く県道を上がって行くと、脊振山頂駐車場の分岐に出る。

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 ここから午前中登ってきた自衛隊道路を自宅へ向けて下って行った。車窓からは黄や茶など色とりどりの脊振山の裾野の紅葉が流れるように過ぎ去って行った。左右のガラス窓にも紅葉が映えていた。脊振の紅葉を満喫できた1日となった。

ジャピー記念碑

 アンドレ・ジャピーはフランスの冒険飛行家で、フランス政府によるパリ・東京間100時間飛行の懸賞競技に挑み、1936年11月15日パリを飛び立ち、同月19日早朝、不安定な気象条件のなかをジャピー機は東京へ向かって香港を出発。しかし、飛行は困難を極め、気流に巻き込まれ脊振山頂付近に墜落した。

紅葉に囲まれたジャッピー氏遭難の碑
紅葉に囲まれたジャッピー氏遭難の碑

 遭難を知った地元の人々は捜索隊を編成し、雑木林のなかで動けなくなっていたジャピー氏を発見し、ジャピー氏は一命を取りとめた。当時、この出来事は国境を越えた人間愛として大きな話題となり、小さな村に咲いたフランスと日本をつなぐ感動的な出来事として、今も語り継がれている。墜落した山中には石碑が建立されている。

栄西記念像

 脊振山頂に向かう途中、日本に最初にお茶を植えた臨済宗の開祖・栄西禅師の記念像が、訪れる人を静寂のなかで迎えてくれる。

静かに佇む栄西記念像
静かに佇む栄西記念像

 日本茶は、鎌倉時代に栄西禅師が宋からお茶の種を持ち帰って、脊振山に植えたのが始まりといわれており、その後、茶の製法や効能を全国に広めた。この一帯は8世紀のころから山岳仏教の聖地として栄え、修験道場としてのさまざまな大伽藍が建ち並び、脊振千坊と称えられた。

(了)

2021年11月9日
脊振の自然を愛する会
代表 池田 友行

(前)

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