2024年12月22日( 日 )

早期停戦を実現するための条件

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NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回はウクライナとロシアの関係を理解するためには、少なくとも2004年と14年の政変の真相を理解することが必要と指摘した3月16日付の記事を紹介する。

鈴木宗男参議院議員が3月13日、札幌市での講演で、ロシアのウクライナ侵攻に関して力による主権侵害や領土拡張は断じて認められないとしたうえで、「原因をつくった側にも責任がある」と述べたが、正論である。ウクライナ問題の経緯を正確に理解する者はウクライナの対応の問題点を認識している。

紛争の解決に武力を用いてはならない。これが平和を維持するための根本原理。ロシアは紛争を解決するために軍事行動を起こした。このためにロシアが非難される。先に手を出した方が責められる。

鈴木議員も、力による主権侵害や領土拡張は断じて認められないと述べている。しかし、ウクライナの対応に重大な問題があったことは事実である。メディアがこの点を一切報道しないのは適正でない。

鈴木議員は「(侵攻前に)話し合いを断ったのはウクライナのゼレンスキー大統領だ」と述べた。米国のバイデン大統領についても、攻撃が迫っていると事前に繰り返し警告を発し、ロシアに対する「挑発」になったとの認識を示した。私が記述してきたことと同趣旨の発言だ。

ウクライナとロシアの関係を理解するには、少なくとも2004年と14年の政変の真相を理解することが必要不可欠だ。

オリバー・ストーン監督のドキュメンタリー映画『ウクライナ・オン・ファイヤー』を閲覧することが必要。しかし、動画はすぐに削除される。「ウクライナ・オン・ファイヤー』で検索しても関連記事が上位に表示されない工作活動も実施されている。

多くの人が知っては困る内容が盛り込まれていることが示されている。世界を支配しようとする勢力にとっては、「人々に絶対に見せたくない映画」だということ。だからこそ、すべての人が見る必要がある。

ウクライナでは04年と14年に政権が転覆されている。親ロ政権が破壊され、反ロ政権が樹立された。欧米は「民主主義革命」と主張するが、実態は不正な政権転覆の側面が強い。2つの政変をどう評価するかは、「ウクライナ・オン・ファイヤー」が提供する「事実」を踏まえて判断すべきだ。

14年、民主的な選挙で選出されたヤヌコヴィッチ大統領が国外追放された。平和的なデモ活動は暴力行為に変質した。その暴力行為を創出した本尊は米国である。米国が「カネとメディアとテクニック」を駆使してウクライナ暴力革命を主導した。米国がもっとも得意とする主権侵害の手法である。

親ロ政権は暴力革命によって破壊され、反ロ政権、親欧米政権が樹立された。この政権転覆に対してロシア系住民が動いた。

クリミアでは住民投票によりロシアへの編入が決定された。東部のドネツク、ルガンスク両州ではロシア系住民が共和国の独立を宣言した。

これを契機にウクライナ政府とロシア系勢力との間で軍事紛争が勃発した。紛争を収束するために合意が形成された。これがミンスク合意である。

ミンスク合意は第一次と第二次の二次にわたって制定された。この合意でウクライナ政府が東部2地域に対して強い自治権を付与することを確約した。この措置は本来、15年末までに実施されねばならなかった。

19年に大統領に就任したゼレンスキー氏はミンスク合意の履行を公約に掲げた。ところが、大統領に就任すると、この公約を反故にしてロシアと軍事的に対決する方針を鮮明に示した。

ゼレンスキー大統領の好戦的姿勢が先鋭化したのは21年から。米国でバイデン政権が発足して以降、ロシアとの軍事対決の方向が先鋭化したのである。

ロシアの軍事行動は正当化されないが、ウクライナの対応にも非があるとの指摘は正鵠を射ている。

※続きは3月16日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「早期停戦を実現するための条件」で。


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