京都新聞を呪縛した白石浩子、イトマン事件・許永中とも渡り合う(中)
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報道各社が、(株)京都新聞社の持株会社、(株)京都新聞ホールディングス(HD)の前代未聞の不祥事を報じた。主役は京都新聞の“女帝”として君臨してきた元相談役・白石浩子氏(81)だ。バブルの時代、大阪の中堅商社イトマンを舞台にした戦後最大級といわれた経済事件で、その名を轟かした許永中氏。グループを揺るがしたお家騒動の際、「フィクサー」許永中氏と渡り合ったのが白石浩子氏だ。いったい“女帝”に何があったのだろうか。
持株会社体制は息子への権限譲渡が目的
浩子氏の呪縛が解けると”女帝”ぶりを伝える内部告発が漏れてくる。
浩子氏のパワーを見せつけたのは、2014年の持株会社体制への移行だという。新聞社の持株会社は、(株)読売新聞社グループ本社、(株)毎日新聞グループホールディングスに次いで3番目、地方新聞としては初の事例だ。
持株会社の京都新聞ホールディングス(HD)が、京都新聞社などを子会社としてぶら下げる。その狙いは、元最高幹部によると、「浩子氏の息子、京大氏への権限移譲が目的だった」という(「デイリー新潮」21年9月2日付)。
京大氏は、京都新聞社の若手社員のとき、覚せい剤取締法違反容疑(使用)で逮捕され、会社を辞めている。だが、オーナーの白石家ということで、ほどなく復帰。出世階段を駆け上がり、13年には京都新聞社の取締役執行役員に昇格。持株会社移行にともない、HDの取締役に就いた。
覚せい剤で逮捕された経歴が災いして、新聞社のトップに就くことはできない。母親の浩子氏は、息子の京大氏を持株会社の会長に据えて、子会社である新聞社の人事権を握り、白石家の支配を盤石にすることを意図したわけだ。
今回の不祥事で、経営陣は浩子氏を解職、京大氏を退任させ、白石家と縁を切る。だが、最大の問題が残っている。浩子氏側が保有している28.4%の株式の扱いだ。会社側が買い取ればよいが、浩子氏側が拒否し他社に渡れば、それこそてんやわんやの大混乱を招くだろう。
当主が残した98億円の簿外債務
浩子氏は、どうやって社会の公器を牛耳る“女帝”となったのか。京都新聞社が存亡に危機に立たされた“お家騒動”を乗り切ったからだ。
京都新聞社は1942年、京都日日と京都日出新聞が合併して誕生した。故・白石古京(こきょう)氏が1946年から81年まで35年間社長を務め、京都新聞社を核にテレビ局の(株)近畿放送(以下、KBS京都と表示)を擁する京都新聞グループを形成。高齢の古京氏は病気を理由に引退した。
81年、古京氏の後を継いで、長男の英司氏が京都新聞社の社長に就いた。英司氏の代になって状況は一変する。経営の多角化という名目で不動産事業に進出する。英司氏は不動産会社「トラスト・サービス」や教育関連施設の「ケー・ビー・エスびわ湖教育センター」などの子会社を次々と設立した。だが、新事業はことごとく失敗した。
83年、英司氏ががんで急逝。当主の突然の死で、京都新聞グループは大激震に見舞われた。遺産相続の過程で、KBS京都と京都新聞社に約98億円の簿外債務が発覚。簿外債務の処理をめぐり、内紛が勃発した。
浩子氏とKBS社長・内田氏、簿外債務処理をめぐり対立
簿外債務の処理に当たったのは、トラスト・サービス代表の内田和隆氏。英司氏の番頭だ。トラスト社はKBS京都の子会社。内田氏がKBS京都の社長に就いた。
処理をめぐり、京都新聞社会長・浩子氏と、トラスト社が差し押さえていた300万株の京都新聞社の株式の扱いをめぐって対立状態にあった。
こういった背景から、KBS京都の筆頭株主である京都新聞社が、84年5月の株主総会に向けて、内田社長の解任を要求するが、直前になって撤回した。なぜ、撤回したのかは、あとで述べる。
英司氏の未亡人・浩子氏は京都新聞社を支持、英司氏の母(白石古京氏夫人)がKBSを支持した。京都新聞社とKBS、白石一族内の確執が表面化したのである。
浩子氏は、地元の同志社女子大卒。英司氏が保有していた株式を相続して、新社主となり、83年京都新聞社とKBS京都の会長に就いた。彼女は内田氏の追い落としに動く。
(つづく)
【森村 和男】
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