古森義久「安倍晋三氏と日本、そして世界」~追悼セミナー(7)
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NetIB-Newsでは、(株)武者リサーチの「ストラテジーブレティン」を掲載している。
今回は8月1日号、古森義久産経新聞ワシントン駐在客員特派員による「安倍晋三氏と日本、そして世界」を紹介。なぜ統一教会を持ち出すのか
最後に、安倍氏の暗殺について、いくつか気になることを申し上げます。旧統一教会に焦点を当てて、その問題が何か暗殺の原因かのようにもっていくという最近の傾向は不可解です。この情報の出どころは捜査当局しかないわけですが、その捜査当局こそ、重要人物の暗殺をあれほど容易に達成させてしまったという責任が明らかにあるわけです。
主要マスコミを主舞台に統一協会のせいだと唱えるようないまの論調に、私は非常にその不公正というか怪しいものを感じるわけです。どんなことがあっても、暗殺が正当化されるはずはありません。それから「民主主義への挑戦だ」という主張も同意できません。これも言いやすい言葉です。しかしその中身は何かというと、よくわからない。暗殺事件の容疑者がいまの日本の民主主義を否定したり、挑戦したりという動機のために安倍氏を殺したという論拠はまったくないといえます。私はむしろいまの日本の民主主義の弱点から起きた暗殺ではないかと思う。奈良の警察が地元に長年、住む容疑者が銃や火薬の密造し続けていた事実をまったく察知していなかったとすれば、住民の私生活には触れるな、という民主主義の名の下での個人の権利の過剰な保護となるでしょう。安倍氏の警護もまったく不十分だったことは、いまの民主主義の日本社会では暗殺など起きはしない、という楽観を思わせます。容疑者からすれば、民主主義の名の下での警備や警護の不足こそが犯行を可能にしたことになります。
レーガン狙撃事件との対比
私が今回の暗殺事件を知って、まず思い出したのは私自身がかなり間近に見たロナルド・レーガン大統領に対する狙撃事件、暗殺未遂事件です。1981年3月30日、ワシントン市内でヒンクレーという25歳の青年がレーガン大統領を狙って6発撃ったのです。このときの警備の状況というのは、もうかなり詳しく公表されています。そのときシークレットサービスの警護部長だったジェリー・パーという人が『シークレットサービス』(邦題)という本を書いて日本でも最近出ています。非常に面白い本です。そのなかにレーガン大統領がどうやって助けられたかという経緯が詳述されています。犯人は一発撃ってその次まで3秒ぐらい間隔をおいた。この点は非常に安倍さんの時と似ているのです。最初の一発が発射されたその瞬間に、大統領の一番近くにいたパー警護部長がレーガン大統領の襟をつかんでガーッと引きずって伏せさせて、そして側にあった大統領専用車にだっと押し込んだ。で、もう1人の警護官もそれについて大統領の体を車内に押し込んだと。で、3番目の警護官がその専用車の入り口に立って狙撃者の方に向かって立ちはだかった。とにかく大統領をかばうことが第一だという方針に徹底した動きだったのです。
そのころから明らかにされているのは、大統領警護はダイヤモンド型とよくいわれる菱形の基本です。つまり大統領の真ん前に警護官がまず1人いる、それから横の右と左に1人ずつ計2人いる、真後ろに1人、と。これでダイヤモンドのかたちになるというわけです。それから大統領自身は防弾チョッキを着けている場合が多い。レーガンの場合には、ワシントンヒルトンホテルから出てきてほんの10mぐらい歩いて車に乗ってホワイトハウスに戻るはずだったから、防弾チョッキはつけていなかったという。
警護の失敗への疑問
今回、私が疑問に思う諸点をあげてみます。第1点は、安倍さんの背後の警護がなぜゼロだったのか、です。録画をみても、安倍さんの後方では容疑者が自由に動き、その不吉、不穏な動きを警護側は誰も、なにも対応をみせていないことが明白でした。
第2点は、一発目の銃撃から次の銃撃までの3秒ぐらいの間に、なぜ警護側は安倍氏の身体を守ろうとしなかったのか、です。とっさに安倍氏の体を地面に伏せさせる、あるいは警護官自身の体でおおって、防御することができたはずです。しかしなにかをした形跡はまったくありません。
第3点は、この容疑者が同じ住まいで過去10年もの間に多様な銃や爆発物を製造してきたのに、なぜ捜査当局はその動きを察知して事前の警戒態勢をとらなかったのか、です。さほど広くない地元社会でこの種の危険な人間の動きがなぜ警戒されていなかったのか。極めて不自然なものを感じます。
第4点は、安倍さんぐらいの要人であれば、なぜ防弾チョッキの類を身につけさせられていなかったのか、です。アメリカの現職大統領ではないにせよ、いまの日本では最も標的にされやすい重みをもった人物が安倍晋三氏でした。以上、ざっと考えただけでも、警備や警護に重大なミスがあったことは明白です。こんな事態によって日本の貴重なリーダーが亡くなってしまったことの無念さは胸を圧するものがあります。
安倍氏の最後の笑みへの痛恨
私は、長年にわたり、安倍さんを国際的な角度からみていて、今から思うとなんとなくこの人がいる限り、日本国がある程度の水準以下に落ちていくことはない、日本が奈落に落ちていくことはないだろうと、心のなかで感じてきたことをいまになって意識しました。簡単にいえば、わが日本は安倍晋三氏が健在な限り、大丈夫だろうと思ってきた、ということです。その希望の星のような安倍さんが亡くなってしまった。
前記の安倍氏との対談で最後の最後に私が彼に告げたことは日本の世間には「やはり安倍さんだ、という声が多く、それを無視はできないでしょう」という言葉でした。その意味は、もう一度総理大臣やってもいいんじゃないかっていう趣旨です。その言葉に対して安倍氏はなんともいえない笑みを浮かべて、「いやいまは岸田政権を全力で助けていく、それに尽きます」と、答えたのです。私は勝手に、この人はいざという時はまた国政のトップに就く意欲はあるなと解釈しました。しかしいまやその期待も虚しくなりました。返す返すも残念だという思いです。痛恨であります。
最後にワシントンでの安倍さんへの礼賛を報告します。日本のなかでいろいろ毀誉褒貶があるけれども、ワシントンではびっくりするぐらいネガティブな反応はありません。私自身もリベラルで安倍さんに対して無関心とか、批判的に見えたような友人知人からお気の毒だなとか、日本にとっての重大な悲劇だ、というメッセージが多数きたので、びっくりしました。世界での安倍晋三の悲劇ということのインパクトの巨大さは、おそらく皆さん日本のマスコミではみられている以上に大きいのだと、私は実感します。
最後に私自身として、安倍さんのご冥福を祈るというかたちでこのお話を終わらせていただきます。ご静聴どうもありがとうございました。
(了)
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